ですので多くの人々が、そうした政治や社会の問題に大きな関心を持って、様々な取り組みをしてゆこうとすること自体は、とても良いことであるとは私も思うのですが、しかし、はっきり言って、先ほどから述べているようにそうした政治や社会の問題について、それほど深い知識や経験を持っているわけでもなく、また、そうした情報の真偽についてすら、はっきり正確に確認することもできないような状況に置かれているたくさんの人々が、日々、そうした問題に真正面から真剣に取り組み続けている政治家や専門家の人々に対して、あまりにもヒステリックな態度で強く批判したり、攻撃するような言動ばかり行うようになってしまうと、かえって、そうした政治や社会の問題がどんどん大きくなっていってしまったり、うまく解決できずにどんどん長引いていってしまうようなことも、だんだん、あちこちで増え続けてきているようなのです。
それゆえ、ここで私が言いたいことは、確かにSNSなどを見ると、非常にセンセーショナルで大変驚かされたり、怖がらせられたり、非常に魅力を感じさせられたりするような情報に触れることがあるかもしれないのですが、しかし、そうした情報に触れたとしても、そう簡単にすぐに飛びついて、大騒ぎするような態度はとらずに、そうした情報が大変重要なもののように感じられれば感じられるほど、できれば、少し冷静になって、「それは本当に正しい確かな情報なのか?」「そうした情報に詳しい専門家の人々は、どう言っているのか?」「その人が言っていることは、本当に可能なのか?」「その情報に対して、他の多くの人々は、いったいどのような見方をしているのか?」などというようなことについても、ある程度しっかり調べ直した上で、そうした情報に対する、できるだけ正しい自分自身の見方を決めるようにしてゆくことが、とても大事なのではないか、というように私は感じております。
※前にも述べましたが、一部の人々は強く否定するかもしれませんが、一般には、どこの誰ともしれないインターネット上の情報よりも、かなりしっかりした取材や調査をして、公の責任を負いながら報道している新聞社やテレビ局や、専門家の人々の情報の方が、はるかに信頼性が高いことが多いようです(参考)。ただし、これは言論の自由や報道の自由がしっかり保障された民主主義の国々についての話になりますが・・・。
Cecye(セスィエ)
2025年11月15日 9:03 PM, 予知、予言、未来予測 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 教育 / 現在のアセンションの状況 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 科学、テクノロジー / 経済
