それでは、それぞれの国や地域の社会をより良いものにしてゆくためには、どうしていけばよいのか、というと私は、単に宗教や国の政府や現地の自治体のようなものが、そうした人々を厳しく取り締まったり、厳罰に処すのではなく、先ほどと同じように多くの人々が、あまりにも強い嫌悪感を感じたり、大きな迷惑を受けたりしないようにある程度、きっちりとした制限はするけれども、しかしながら、そうした多くの人々が、ある程度やむなしと思える程度の制限の範囲内であれば、例えば、「この時間、この場所で、こういう形であれば、この程度までは、そうした表現はしてよい」「こうした形であると現在の段階では、多くの人々が強い嫌悪感を感じるのでやめてもらうしかないが、そうでない、こうした形であれば、それはその国や地域の社会のより良い発展のためのヒントになるかもしれないのでよしとする」「これは非常に微妙な社会問題を含んでいるので、そうした気配りにだけは、どうしても配慮してもらいたい」などというように、宗教や政治などによって、一方的にすべてNGにして、厳しく取り締まるようなことはせずに、「こうした理由から、こういうやり方であれば、ここまではOKとするが、現代の段階では、ここからは難しい」などというように、要するによくわからない形で、どんどん取り締まりの範囲を大きく広げ続けてゆくようなことはせずに、そうした宗教や政府の人々は、わりとオープンな形で具体的な理由や条件などをきっちり開示して、多くの人々の表現や言動の自由をしっかり認めていった方がよいのではないか、というように考えております。
Cecye(セスィエ)
2024年1月12日 9:03 PM, イスラム教 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 教育 / 現在のアセンションの状況 / 知恵、正しさ / 社会、文化