世界規模の情報化社会の進展と、人間としてのより良き生き方について
現在のような世界規模の情報化社会になると、マスコミやインターネットから入ってくる情報を、何でもそのまま受動的に受け入れてゆくような態度をとっていると、これはそれぞれの人の立場としては、単にテレビやビデオを観たり、コンピューターやスマホやゲーム機を操作している程度の感覚しか持っていないことが多いので、普通、冷静に考え直してみないと、なかなかわかりづらいのではないか、と思うのですが、要するに客観的な状況としては、喩えて言うと、人によっては、四六時中、周りに見ず知らずのたくさんの人々が、休む暇もなく、入れ替わり立ち代わりやってきては、ずっと話しかけられっぱなしになってしまっているような状況になっているのではないか、ということなのです。
そうして周りに代わる代わるやってくるたくさんの人々は、様々な絵や動画を見せたり、音を聞かせたり、言葉をかけたりしながら、「大変です。こんな大変な事件がありました」「あなたの知っている有名人に、こんなびっくりするような出来事がありました」「これは知っていますか?知らないと、あなたは大変な損をするかもしれませんよ」「これを見てください。本当に素晴らしい体験ができるんです」などというように、その人自身にとって、本当に興味があり、利害に関わるような情報も、またそうでない情報も、いつの間にか、ずっと見聞きさせられるような形で、次々と話しかけられ続けているのと、あまり変わりのない状況になってしまっているのではないか、ということなのです。
はっきり言って、こうした様々な情報を見聞きして、楽しいことも得することも感動することも、たくさんあると思うので、私はこうした現在のような情報化社会自体が悪いとは全く思わないのですが、ここで言いたいことはそういうことではなくて、現在のような世界規模の情報化社会で生活している人間としては、時々、少し冷静に自分自身の頭で考え直したり、自分自身の本当の気持ちに正直になって、「こういう情報は、本当に大事な情報だと思うので、自分としては、しっかり得たいと思っているが、はっきり言って、この情報は、自分の心がぐらぐら振り回されているだけなので、もう見なくていいかな」「ニュースはちゃんと見るようにしたいけど、自分が楽しい好きなことをやってる時は、よほどの重大なニュース以外は見ないようにしておこう」「これは今、何となく流れで見聞きしているコンテンツなのだが、自分の素直な気持ちとしては、全く楽しいと感じていないので、確かに続きはすごく気になるのだが、あまり時間を取られないように離れることにしよう」「自分としては、絶対に良いことをやってると思っていたのだが、自分が接している人や情報が、あまりに偏りすぎているために、いつの間にか、ちょっと危ない人生の流れになってきたように感じるので、少し他の人と話したり、他の見方の情報を得ることにしよう」などというように、ずっと忙しく、一方的に情報を消費し続けるような立場からは少し離れて、どんなに自分が愚かで、自信がない人間のように感じていたとしても、自分が、本当に感じてることや考えていることを、少し冷静に考え直してみたり、また、いつもとは、少し違った人の意見に触れ直してみるような機会を持つことも、とても大事なのではないか、ということなのです。
Cecye(セスィエ)
2023年3月25日 9:03 PM, おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 健康、医療 / 宗教、道徳 / 政治 / 瞑想 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 科学、テクノロジー / 経済