つまり現在のような世界規模の情報化社会になると、世界中のたくさんの情報が、何でもほぼ瞬時に見聞きできるようになってくるのですが、しかしながら単純に言って、それでは、そうした世界中の様々な素晴らしい製品やサービスや、様々な素晴らしい生活や、素晴らしい社会の状況が、誰でも何でもすべて簡単に手に入れられるのか、と問われれば、現実には、ほぼ絶対に不可能なのではないか、ということなのです。
また世界中の様々な国々の人々には、それぞれの人が置かれた様々な社会の状況や、様々な生い立ちや希望があるものなので、はっきり言ってしまうと、それでは、世界中のすべての人が、今すぐその人が夢見る最高の状況を手に入れられたとしても、実際には、それほど大きな満足感や幸福は手に入れられないかもしれないということなのです。
たいていの人は、「自分の希望が、そのまま100パーセント実現すれば、幸福に決まっているじゃないか」「貧しいくらいなら、豊かな生活をした方がよいに決まっているじゃないか」というように考えることが多いのではないか、と思われます。
ところが、実際の私達の世界の様子を見ていると、「物質的に豊かな社会が絶対に良いと思っていたが、振り返ってみると、自分や社会がどんどん豊かに発展してゆく時代の方が、価値観が単純だったし、ずっとやりがいも喜びも大きかった」「物質的に豊かな社会になっても、現実のそれぞれの個人を見ると、いろいろな問題や悩みや間違いがあることもある」「たいてい豊かな社会になったらなったで、多くの人々は、さらにまた何か足りないものや、何か新しいものを求めてゆこうとすることが多い」「簡単に手に入ったり、実現できたりすることよりも、大変な厳しいチャレンジや努力が必要なことの方が、やりがいや情熱が湧くこともある」などというように、これはその過程の中にいる人々には、なかなかよくわからないことも多いのですが、実際の私達の社会では、何でもかんでもすべて100パーセント、最高であればよいとは、なかなか言えないようなところもあるのです。
Cecye(セスィエ)