ですので、はっきり言ってしまうと、人間のような高度な知能を持ち、集団生活を行なっている生き物の場合には、まだ、かなり小さい頃から、「みんなはできるのに、まだ自分は、これができていないので、しっかりやれるようにならなくちゃ・・・」「これはおいしかったけど、これはとてもまずかった。できるだけ、まずい物は食べたくないし、できれば、なるべくおいしい物が食べたい」「危ないことをしていたら、怒られちゃった。ちゃんと気をつけなきゃ・・・」「自分は運動が得意だけど、あの子は、そんな得意じゃないみたい。だけど、あの子は、なんか物覚えがいいみたいだな・・・」などというように、常に周りの人々の様子を見ては、真似しようとしてみたり、また自分と周りの人々と比べては、できないところを見つけると、もっと頑張ってみようとしてみたり、それから他の人々との関係において、良い所を褒められることもあれば、また逆に何かできないところがあると叱られたり、いじめられたりすることもあるので、たいてい常に何か頑張って、覚えたり、身につけたりしてゆく中で、やがて将来的には、一人前の生活ができるようになる必要に迫られ続けているようなところがあるわけです
そうすると、どうしても人間のような集団生活を送る知的な生き物の特徴としては、そのままの自然な状態であると、「何か自分にできていないところがあるのかな?」「自分自身や、身の回りの人々には、何か欠点があるのかな?」「自分のため、周りの人達のために、もっと何か頑張らないといけないのかな?」などというように、常に自分自身も含めて、あらゆる物事の欠点や足りない所を見つけたり、すぐにいろいろな物事を比較して、考えようとしたり、また、もっと何かよくできるのではないか、などと考えてしまいがちな性質を身につけてゆくようなところがあるのです。
Cecye(セスィエ)
2023年2月9日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 教育 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済 / 自然、生命