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霊的、現代的な観点から見た仏教の教えについて Part 26

 長いようなので、二つの文章に分けました。

 

 ところが現在伝わっている仏教の場合、古代や中世のインドや、インド周辺のアジアの様々な国や地域で、様々な時代に、様々な人物や宗派の人々によって作られた様々なバリエーションの仏教の教えが、「これも釈迦が説かれた」「これも仏陀の教えである」などというような形で、次々とたくさん増え続けていったようなところがあるので、それゆえ、たとえ、それぞれの仏教の教えは、非常に素晴らしいもののように感じられたとしても、そうした非常にバラエティーに富んだ仏教の教えを、ある程度、きっちり学んでゆこうとすると、どうしても途中で、何が何だか、よくわからなくなってきてしまうようなところがあったようなのです。

 その結果、先ほども述べたように、要するに普通の人間の基本的な物事の理解の仕方としては、例えば、「ここに◯◯がある」とか、「そこに◯◯はない」などと言われれば、まずは、そうした内容を一つ一つ、しっかりと理解し確認して、ある程度、十分に納得した後に、次の物事の理解や習得を積み重ねてゆくようなところがあるのに、それが仏教の教えでは、ある経典では、「これは◯◯である」と言ったかと思うと、次の別の経典では、「本当は、それはないんです」とか、「それは別のものだったんです」などと、わりと当たり前のように次々と説明されてゆくようなところがあったので、そうすると仏教を学ぼうとしている人は、どうしても途中で、「何だか、とても難しい」とか、「何だか、よくわかるようで、よくわからなくなってきた」などと感じることが多くなっていったのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年10月14日 9:04 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / 仏教 / 宗教、道徳 / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化



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