3、霊的な本質としては、セックスの有無よりも、霊的な修行が、しっかりできているかどうかの方が、遥かに重要である
三つめは、それでは、霊的に見て、セックスというのは、絶対に避けなくてはならないほど、霊的な悟りを大きく妨げるものなのか、ということについて述べてみたいと思うのですが、これは古今東西の霊的な人々の言動をつぶさに調べてみれば、かなりはっきりとわかるのではないか、と思うのですが、単純に言って、確かに肉体的にセックスを体験する前の人にとっては、セックスというのは、かなり特別な素晴らしい魅力的なもののように思えるようなところもあるのですが、ところが、この世的に結婚して、普通の肉体的なセックスを経験するようになった人にとっては、ある意味で、ごくごく普通の日常生活の一部になってしまうようなところがあるのとほぼ同じように、要するにそれぞれの人の霊的な修行の内容としては、はっきり言って、セックスしていようが、セックスしていなかろうが、本当にやるべき霊的な修行の部分さえ、しっかりこなしているのであれば、本質的にあまり関係ないようなところがあるのです。
ですから、こうした霊的な観点から見た場合には、はっきり言って、それぞれの人が、日常的にセックスの体験があるかどうかというのは、あまり関係なくて、それよりかは、その人自身が、いったい、どれだけ霊的な悟りに向けての修行を確実に進めているかどうか、ということの方が、遥かに重要なところがあるのです。
Cecye(セスィエ)
2021年8月13日 9:03 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 仏教 / 健康、医療 / 宗教、道徳 / 愛について / 知恵、正しさ