今回から少し前に載せていた「人間の知的な向上と霊的な悟りの関係について」の続きの文章を載せてゆきたいと思います。
※「霊的、現代的な観点から見た仏教の教えについて」の続きの文章は、もう少し書き足してから載せたいと思います(つまり、まだ書いてない・・・)。
9、仏教の禅的な「悟り」について
九つめは、これは、わりとオーソドックスな「悟り」と呼ばれている内容になるのですが、いわゆる、特に仏教の禅宗などで「悟り」と認識されているような内容になります。
これも奥が深くて、こうした短い文章で、その深奥に当たるような内容を簡単に述べるのは、正直言って、かなり難しいようなところもあるのですが、大まかにその要点だけを述べると、だいたい次のような二つのことが言えます。
1、仏教の禅的な「悟り」の体験について
まず一つめは、これはおそらく、この地上の世界で生きている誰もが、最低でも一度は体験したことのあるような内容になるのではないか、と思われるのですが、要するに普段の日常生活を送っている際などに、「突然、ポーンと頭や全身を強く打たれるような感じで、何か自分が、特別な異世界にいるような感覚になった」とか、あるいは、「突然、パッと目の前の視界が、明るく大きく開けてゆくような感じで、何か強い爽快感のような感覚や、何か新しいことを強く閃くような感覚に打たれた」などというような体験が、こうした禅宗で説かれている「悟り」の内容とされていることが多いのではないか、と思われます。
はっきり言って、こうした形で簡単に述べてしまうと、そんなに大変な難しいものではないような印象になってしまうかもしれないのですが、ただ、こうしたタイプの悟りであっても、宗教的に深く極めてゆくと、霊的には、かなり高い世界につながってゆくようなところもあるので、やはり仏教の一派として、そうした悟りを求める一派が成立していったのは、ある意味、宗教的には、当然であったようなところがあるのではないか、と思われます。
Cecye(セスィエ)
2021年8月3日 9:03 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宗教、道徳 / 瞑想 / 知恵、正しさ