仏教の「空」の教えの拡大解釈の効用と、その問題点について
これは、わりと豊かな幸せな生活をしている人々には、多少、わかりづらい内容になるかもしれないのですが、物質的、あるいは精神的に非常に苦しく、不幸な生活を送っているような人々が求める宗教的なニーズとしては、現在の自分自身や、自分の身の回りの世界をそのまま良いものとして受け入れるのではなくて、「現在の世界には、たくさんの大変な問題があるけれども、神仏を信仰して、みんなで力を合わせて、素晴らしい夢のような幸福な世界を目指してゆこう」とか、「宗教的な時間には、なるべく、この世のことは忘れて、神仏を想って、天国の世界に心をはせて、深い心の安らぎや幸せを感じていたい」とか、「この世界には、いろいろな困難や苦悩があるけれども、強い信仰心を持って、今日も大変な毎日を乗り越えてゆこう」などというような宗教的な活動になってゆきやすいようなところがあるのです。
戦乱や飢餓や疫病など、様々な問題を抱えていた古代インドの社会においても、当然、多くの人々の間には、こうした宗教的なニーズがあったように思われるのですが、元々の釈迦の教えでは、どちらかと言うと世俗の世界から少し離れて、深い瞑想に入ったり、慈悲的な活動を行うことで、それぞれの個人の悟りや救済を目指していたようなところがあったわけです。
それから数百年も経つうちに釈迦の教えは、かなり大きく広がっていったようなところはあったのですが、はっきり言って、元々の釈迦の教えは、それぞれの個人に、非常に大きな精神的な満足や幸せをもたらしてくれるような教えではあっても、ただ、より積極的に政治に関わったり、経済的、文化的に豊かにしてゆくような、いわゆる社会全体を素晴らしい理想郷に変えてゆくような教えではなかったために、その後、仏教教団が、ある程度しっかり成立した後の時代になっても、そうした仏教教団を取り囲んでいる人間の社会では、相変わらず、いろいろな戦乱や混乱が起きたりして、それほど良い社会にはなっていないようなところがあったわけです。
そこで当時の仏教教団の人々が、彼らの周りの、何百年経っても相変わらず、あまり幸せとは言えない社会の中にあっても、わりと簡単にサッと幸せになれる宗教的な解決手段として、たどりついたのが、先ほどから述べているような「空」の思想を、かなり大きくねじ曲げて、拡大解釈することで、一気に達観し、安定した精神状態になるような方法だったのではないか、ということなのです。
Cecye(セスィエ)
2021年6月19日 9:08 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 歴史 / 瞑想 / 知恵、正しさ / 社会、文化