それから三つめは、これは昔からインドの辺りでは、時々問題になっていたような内容になるのですが、こうした「霊的な悟りを得た」と主張しているような人物の中には、かなり怪しい、もっとはっきり言うと、様々な問題のある仕掛けのようなものが裏にあって、あたかも本当にそうした悟りを得たかのように振る舞っていることも、時々あったようなのです。
ここでは細かな内容については、割愛したいと思うのですが、要するに特に少し昔の時代までは、もう少しでも良い話があれば、「本当にすがるような気持ちで救われたい」とか、「自分の人生を、少しでも良い状況に変えてゆきたい」とか、さらには「現在の人生で無理なら、せめて来世だけでも、できるだけ幸せな世界に行きたい」などと考えるような人々が非常に多かったために、そうした社会の状況を悪用して、時々、かなりおかしな宗教的な商売をする人々がいたようなのです。
私自身の見解としては、わりと単純で、どう考えてみても客観的な証拠や実績などから見て、本物のヨギであると判断してよいような人々と、そうではなく、要するに裏に何らかの仕掛けがあって(時々、霊的な仕掛けがあることもあるようですが・・・)、宗教商売をしているような人々との違いは、今日的な目で見ると、かなりはっきりと明確に判定できるように思われるので、霊的に大きな失敗をしたくないような人は、そうした、わりときっちりした客観的な証拠や実績がある本物のヨギのもとで、霊的な努力や修行をしてゆけばよいのではないか、というように考えております。
このようにヒンドゥー教的なヨガの悟りの内容としては、そうした心身を鍛え、整えて、調和させてゆくことによって、絶対的な平和や、絶対的な至福やエクスタシーの体験をしたり、さらには、そうした修行の過程において、様々な不思議な超人的な能力を獲得することなどがあげられるのではないか、と思われます。
Cecye(セスィエ)
2021年4月22日 9:03 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / スピリチュアリズム、霊界 / 仏教 / 宗教、道徳 / 知恵、正しさ