そうすると、例えば、毎日、大変な勉強をしている学生のような人々に向かって、「こんな勉強は意味ないよ。もっと自分がやりたいことだけをやればいいんだ」とか、「イヤなことなんて全部やめて、楽しいことだけをやってればいいんだよ」などと強く説得してくるような人がいたり、また毎日、大変な仕事や生活でうんざりしているような人々に向かって、「これはみんな、あの政治家やお金持ちの人達がいけないんだ。だから、みんなで反対運動をやろう」とか、「これは自分達の国の責任ではなくて、みんな外国や外国人の連中が悪いんだ。だから外国や外国人の連中の排斥運動をやれば、この国のすべては絶対に良くなるんだ」などと扇動的に話しかけてくるような人がいると、実際の結果はどうであれ、少なくとも誰でも一瞬は、「ああ、楽しそうだな。自分も、ちょっと息抜きしたいと思っていたんだ」とか、「ああ、いいなあ。自分も毎日、好きなことだけをやって、暮らせたらなあ」などと考えてしまったり、また、「全部、自分で何とかしないといけないって、ものすごい大変だと思っていたけれど、こうやって、偉い人や外国(外国人)のせいにしてれば、何だか自分は全然悪くなくて、ものすごく良いことをしている気分がしてくる」とか、「こうやって大勢で大声で叫んだり、デモ行進していると、日頃の不満や鬱憤をすべて晴らすことができそうで、すごい気分が高揚してくる」などと考えてしまいがちなところがあるのです。
ただ、たいていの人は、そうした話を聞いても、「そうは言っても、学生の間は、しっかり勉強しておかないと、後で困るのではないか?」とか、「一応、勉強はある程度はしっかりやるけれども、それ以外の時間は、自分の好きなことや楽しいことをして過ごそう」とか、また「政治的な腐敗の一掃や、政治的な理想の実現はとても大事なので、自分ができる範囲でいろいろと協力はしたいのだが、今の仕事がクビになって、自分や家族が路頭に迷ってしまったら大変なので、仕事は、しっかりやっておかないとまずいのではないか」とか、さらに個人的にそうした政治家や財界人や外国人などのことをよく知っているような人になると、「世間では、そうした政治家や財界人や外国人が、まるでものすごい悪党のような、それらしい話がたくさん飛び交っているが、自分が知ってるそうした人々は、みんなのことを考えて一生懸命、仕事していたり、普通にしゃべったり、遊んだりして、普通の市民生活をしているような人々ばかりだったので、ああやって大騒ぎしている人々は、ちょっとやりすぎなのではないかな(なかには、本当に問題があるので、何とかした方がよいケースもあるとは思いますが・・・)」などというような感じで、わりと冷静に普通の学業や仕事や生活をしながら、その人のできる範囲で、少しずつ世の中や自分達の生活を良くするような努力をしていることが多いものなのです。
Cecye(セスィエ)
2019年9月10日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 成功論、繁栄論 / 政治 / 教育 / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済 / 軍事