二つめは、これは現代であると、かなり改善されてきているようなところがあるのですが、少し前の時代までは、そうした非常に高度な知的なことに関わっているような人の中には、例えば、医療の現場で患者の命を救うために一時的には、本当にかなり大変な痛みを伴うような治療をしなくてはならないことがあったとか、政治の世界で国の生き残りや繁栄を勝ち取るためには、他の国の人々や一部の人々を、かなり大変な状況に陥れるような非常に厳しい決断をしなくてはならないことがあったとか、それから経営の現場で企業の存続や発展をしっかり守り続けるためには、一部の人々の生活の事情なんて、ほとんどおかまいなしに大きく仕事の内容を変えたり、強引に解雇しなくてはならないことがあったなどというように、そうした非常に高度な知的なことに関わっているような人の中には、他の人々に対して、たとえ、それが社会的に正しく、どうしても必要なことであったとしても、実際には、目の前の人が結構苦しんだり、多くの人々が大変な目に遭うことになってしまうような、はっきり言うと、時折、かなり残酷というか、非常に理不尽な厳しいことをしなくてはならないような立場に立たされることがあったものなのです。
それゆえ、そうした仕事に就いているような人の中には、自分の本当の感情や気持ちには、すっかり蓋をして、他の人々には見せないようにしてしまい、言ってみれば、まるで、ある種のロボットや機械のような冷たい意識状態になってしまっているような人もいたということです。
Cecye(セスィエ)