もちろん、今日の日本のような民主主義の国の憲法では、「基本的にすべての国民は、自由で平等である」とは述べられているのですが、ところが実際の社会では、それぞれの人が働いている職業の種類が違うだけでなく、それぞれの人が勤めている会社も、また会社の規模も違うし、さらには住んでる場所も収入も生活の実態も、かなり違うような状況になっています。
ですので特に都会では、確かにものすごく大勢の人々が一緒に集まって、暮らしているのですが、かつて学生時代には、多くの人々が、ほぼ日常的に感じられていた人間の平等感や、大勢の人々との一体感や楽しみのような感覚は、実際には、ほとんど感じられなくなってゆくことが多いようなのです。
そうすると、学生時代はともかくとして、そうした社会人になってから後の人生では、いったいどのようなことが大事になってくるのか、というと、学生時代のように単に受け身で待っているだけではダメで、できるだけ自分から他の人々に積極的に話しかけて、いろいろな人間関係を作っていったり、また自分から積極的に多くの人々がいる何らかの集団に属するようにして、そうした人々と一緒に様々な活動ができるような人は、その後も、わりと学生時代と同じような人間の平等感や、大勢の人々との一体感や楽しみを感じ続けることができやすいようです。
ところが残念ながら、そうした性格をうまく築けていない人の場合には、だんだん年と共に自分の殻に閉じこもってゆき、他の人々に対して、威張り散らしたり、また逆に他の人々から虐げられるような生活をするようになってゆき、人によっては、かなりいびつな精神状態になって、いろいろな問題を巻き起こすこともあるようなので、こうしたことには、かなり注意が必要なのではないか、と思われます。
Cecye(セスィエ)