今回から何回かに渡って、私が現在、学校の教育内容について感じていることについて、少しだけ述べてみたいと思います。
学生時代の後の社会人になってからの試練について
現在の社会も、かなり大きな変動期に当たっているので、十年前、二十年前の多くの人々の学業や仕事や生活のあり方と比べると、毎年毎年、どんどん、かなり大きく変化してきているのではないかと思います。
すべての国民が一律に受ける学校教育の制度は、元々、性格や能力が、かなりバラバラに異なっているような子供達を、できるだけ一緒に集めて、いかにして国が定める教育内容を、最も効率的に教えてゆくか、ということを目的に作られた制度であるので、それゆえ、そうした子供達が学生時代を終えて、社会に出るようになると、それ以降は、一人一人の人がある程度、独立した良き市民として、また一人の人間として、いかにして十分満足できるような人生を歩んでゆくか、ということで、どんな人であっても多少混乱してしまうようなところがあるようです。
これが一昔前の身分制社会であれば、たいていの人は、「親や周りの人々の仕事が、自分の将来の一生の仕事」ということになるので、そうした社会の厳しい決まり事も将来の一生の仕事も、小さい頃から親や周りの人々の様子を見たり、手伝ったりしていれば、だいたい10代の初め頃になれば、どの人も、その社会で自分がやっていいことと、いけないことや、それから自分のやるべき仕事のやり方は、だいたい理解しているし、実際、ほぼできる、というような状況になっていたはずなので、それほど大きな迷いや試行錯誤というのは少なかったのではないか、と思われます。
そうした点から見ると現代の社会は、学校に通っている間の子供時代の体験と、大人時代の体験が、わりときれいに分離してしまいがちな上に、また普段、子供達は、親や大人が実際に働いている様子を見る機会も、あまりないために、たいていの人は、学生時代が終わって、社会人になる頃になると、精神的にも能力的にも体力的にも、ちょっとした大混乱に見舞われるような試練の時期を迎えることになってしまうわけです(参考1、参考2)。
Cecye(セスィエ)