※バビロン捕囚時代のユダヤ教の大変化について
そうすると、要は、特に紀元前六世紀頃のバビロン捕囚の時代に、当時のユダヤ教は、かなり大きく変化したのではないか、ということなのですが、ここでは、かなり大まかな内容に絞って、幾つか述べてみたいと思います。
まず一つめは、バビロン捕囚以前のユダヤ教では、唯一神を信仰していて、それまではそれで、ある程度うまく行っていたようなのですが、ところが、いざ彼らの国がなくなって捕囚の身になると、当時の超大国、バビロニアには、もっと大昔からのかなりきっちりした神話の伝承や宗教的な教義もあれば、また巨大で豪華な美しい神殿もあるし、さらには国の規模も大きければ、信者の人数も遥かに多い、というような状況だったので、それで当時のユダヤ教の指導者達の立場としては、少しでも当時のバビロニアの宗教に負けないような新たな神話や、多少厳しいくらいの立派な宗教的な教義が必要になったのではないか、ということです。
それで当時は、立派な神殿を作ったり、大帝国を築くのは、もう完全に無理だったので、結果としては、昔以上に厳しい聖典中心の、戒律で人を縛るようなタイプの宗教に大きく変化した印象があります。
二つめは、ところが、そうした際には、「当時のユダヤ教の人々が、なぜ、それほど大変な目に遭っているのか」ということを、少しでも何とかうまく説明する必要があったので、それで、当時の預言者達の言葉だけでなく、「最初の人間が罪を犯したから、その子孫の我々も不幸になったのだ」とか、「唯一の神は良かったんだけど、そこに何だか訳のわからない蛇が現れて、人間をたぶらかしたために、人間がみんな、おかしくなったのだ」というような創造神話を付け加えた可能性が高いということです(だから、それほど強い選民意識も、悲惨な惨めな感覚を持っていなかった当時の他の国々の宗教では、そうしたややこしい神話にはなっていないことが多かったようです)。
ですので、エデンにまつわる人類の堕落と追放の話も、どちらかというと、人類全体の起源の説明というよりも、当時のユダヤ教の人々の歴史的な経緯の説明、つまり、元々、彼らは、神によって、乳と蜜の流れる豊かな土地、カナンを与えられて、そこで幸せに暮らしていたのに、やがて、彼らの様々な堕落や失敗から、そこを追い出されて、流浪の民に成り下がってしまった、というような、当時の彼らの歴史的な経緯の説明を、暗に述べているのではないか、と考えた方が、至極、自然な感じがします。
あと、おそらく、アダムとイブから連なる長い人類の系譜が載っているのは、当時の王族や貴族や祭祀階級の人々の支配の正当性と、当時のユダヤ民族の選民性を強調して、民族としての団結を強く促すためだったのではないか、と思われます。
Cecye(セスィエ)