※国の歴史観について
近現代に入ると、世界中でたくさんの独立国家が生まれてくるのですが、たいてい、そうした国々では、「自分達は、何らかの一つの偉大な素晴らしいアイデンティーに基づく国なので、みんなで力強く一つに団結して、この国をしっかり軍事的に守って、経済的、文化的に発展させてゆこう」というようなスローガンを建てることが多いものです。
ところが、そうした場合、その時点でのその国の状況が、あまりにもバラバラで、たくさんの民族や部族が勝手なことを言い合っていたり、また世界の有力な先進国の国々と比べて、あまりにも貧弱でどうしようもない状況になっているような場合には、「いや、今の我が国は、どうしようもない、めちゃくちゃな状況であるかもしれないが、ずっと遥か大昔の我が国、我が民族は、世界に冠たる素晴らしい文明、文化を誇った偉大な国だった時代もあるのだ」というような感じで、はっきり言うと、いつともわからない、また、どこともわからないような、かなり大げさに誇張した、その国や民族独自の何らかのアイデンティーを適当に捏造すると、いかにも最もらしく正統な感じで、その国の神話や歴史として、国民に熱心に教えようとするような状況になることがあるのです。
それでは、それが本当に事実なのかというと、実際には学問的に調べると、ほぼ全く何の根拠も出てこないことが多いので、ある程度時代が過ぎて、そうした神話や嘘の歴史の弊害の方が多くなってくるようになったり、また、そうした神話や歴史の話がなくても、もう十分にその国が発展して、立派な国になったと、多くの人々が実感として感じられるようになった際には、だんだん、多くの人々が普通に理解し、納得できるような、普通の歴史観に戻していった方がよいのではないでしょうか(おそらく、大昔の日本の古事記や日本書紀なども、そうした位置づけだったのではないか、と思われます)。
※現代史につながるような歴史で、日本列島に大陸からのたくさんの移民が何度も押し寄せるようになったのは、紀元前千年ぐらい前の、日本の歴史で言うと弥生時代、中国の歴史で言うと、周の時代ぐらいになってからが多いようです。
Cecye(セスィエ)