国土も狭く、資源も少ない、小さな島国の日本が、戦後の焼け野原から、平和で豊かな経済大国に成長した辺りの時期から、世界中で新しい国の平和と繁栄のモデルを模索するようになった
それが、ここ数十年ぐらいの間に、かなり大きく様変わりしてきて、特にキリスト教徒でも白人でもなく、また国土も狭く、大した資源もほとんどないような、はっきり言うと、世界中、どこにでも似たような顔つきや体つきの人々が、ごろごろいるような「日本」という小さな島国が、戦後の焼け野原から復興して、経済大国に成長した辺りの時代から、かなり大きく変わってきて、「まあ、あの人達の国が、あんなひどい状況から豊かな国になれるなら、似たような顔立ちや体つきで、似たような状況の自分達の国でも、努力すれば、同じように豊かな国になれるのかもしれない」というように考えるような人々が、世界中、あちこちに出てきて、実際、日本とほぼ同じような国の発展モデルで、最初は、東南アジアから始まって、今や世界中で、非常に豊かな国づくりに成功した国々が、たくさん現れるようになってきたわけです。
※ただし、これも第二次世界大戦後の国連があったり、自由貿易体制があったりする、現在のような世界の体制があるからなので、特に日本人だけが優秀であると考える必要はないと思います。
ですから、そうした特に1960年代以降ぐらいの時代からは、「この世界では、白人の人達だけが、ものすごく優秀で、神から愛されていて、すごいことができるんだ」というような感覚の時代から、「どこの国のどんな状況の国や社会の人々でも、政治や経済をうまく整えたり、みんなで一生懸命働いたり、世界の他の国々と仲良くしてゆけば、必ず段階を踏んで、素晴らしい発展した国々の仲間入りができるんだ」というような世界の歴史の流れに変わってきたのです(参考)。
ですから、こうした現在のような歴史の流れが、そのまま、ずっと進んでゆく限りは、現在のような形で、それぞれの国や地域の社会が、あまり混乱しないような形で、少しずつでも、そうした先進国の人々の生活に浸透しているような、とてもおいしい食べ物や飲み物や、便利な電気や石油で動く製品や(現在だと自然エネルギーの方が、もっと良いということになるのでしょうが・・・)、きれいな服や建物や持ち物や、それから、そうした優れたものを次々と生み出してゆくための人間の知恵やノウハウのようなものを、お互いに分け合ったり、教え合ったり、売り買いし合ったりしながら、一緒に生み出し続けてゆくような地道な活動を続けてゆくことが、とても大切なのではないか、と思われます。
Cecye(セスィエ)