前回の話の補足です。
※日本の場合、多少複雑なのは、現在のように、かなり手厚く人権の保障された民主政治になったのが、一昔前の天皇を中心とした大日本帝国体制が、世界的大戦争をやって、敗戦した後だったので(戦前の「大日本帝国憲法」は、「不磨の大典」と言われていたので、おそらく、当時の大日本帝国が戦争で勝った場合には、現在の日本のような人権の保障や民主主義制度は実現できていなかったはずです)、ヨーロッパやアメリカ合衆国のような国々と比べると、同じ民主主義の国であっても、多少、民主主義の感覚が違うようなところがあることです。それというのは、そうしたヨーロッパやアメリカ合衆国のような国々では、革命や独立戦争のような、かなり過酷な戦争や抵抗運動と、非常に粘り強い地道な努力と試行錯誤を積み重ねた後に、自分の国の王制の権力を制限したり、そうした政治支配を完全に一掃するような形で、やっと民主制に移行してきた歴史があるのに、それが日本の場合は、現人神(あらひとがみ)の天皇を旗印にして世界規模の大戦争を遂行して、大敗戦したにも関わらず、なぜか1940年代の当時の時代としては、最も進んだ民主主義の制度を、国家の制度として取り入れられるようになっていった経緯があるからです(だから、民衆が参加した戦争や運動の目的と方向性が、ヨーロッパやアメリカ合衆国のような国々と、日本では、ちょうど逆さになっているのに、結果としては、同じ人権の保障や、民主主義制度が取り入れられるような歴史の流れになっています)(参考1)。
※あと、日本の教科書では、「1776年、アメリカは独立した」とか、「1789年、フランス革命が起きた」という程度の内容しか書いてないので、確かにそうした文面ばかり読んでいると、巷のよくある陰謀説のように、まるで何かものすごい秘密結社の陰謀によって、簡単にトントン拍子に西洋の歴史ができていったかのような錯覚を持つような人々が出てきやすいようなところがあるかもしれないのですが、ところが、実際の当時のアメリカ合衆国やフランスの歴史を調べて見るとよくわかるのですが、日本の幕末や明治の初期の頃の歴史と一緒で、当時の多くの人々は、神への信仰や新しい理想世界の建設に向けて、本当に勝つか負けるか、また、本当にそんなことがうまく行くかどうかなんてことも、よくわからないような状況で、そうした革命や独立戦争に参加したり、その後の国家建設を、様々な試行錯誤のうちに推し進めていたようなのです。ですから、そうした意味で、現代の日本人は、民主主義の本当の意味というのは、まだまだ、あまりよく理解できていないようなところがあるのかもしれません(参考2)。
Cecye(セスィエ)