Light Symbol

民主化や近代化の草創期の問題と、その解決策について Part 16

 それは、なぜなのかというと、これは、少し難しいところもあるのですが、大まかに言うと、次のようなことが言えます。

 これは調べてみると、現在、先進国になっているアメリカ合衆国や、ヨーロッパの国々や、日本を始めとするようなアジアの国々も、みんなそうした歴史の経緯を経てきているようなのですが、難しいところは、全部はしょって、かなり簡単な言葉で要約してしまうと、そうした先進国になるには、その国の国民の民度、つまり、国民の道徳的な観念や教育レベルを高めると共に、農業や商工業などの様々な分野において、とにかく、他の人々から必要とされるようなニーズのある商品やサービスを提供して、お金を稼ぐというような形で富を産み出し、そして、そうした富を、ある程度の量になるまで、しっかり蓄積し続けてゆくような人間の営みが、どうしても必要になってくるのです。

 ですから、こうした国家の営みを、わりと淡々と積み重ねていった国々というのは、途中で多少、大変な時期があったとしても、結局、その後、かなり豊かな国になってゆくことが多いのですが、残念ながら、そうした一つ一つの積み重ねを、途中で中断してしまったり、あるいは、完全に放棄してしまったような国々というのは、そうした国々の政治家や軍人や宗教家のような人々が、いくら綺麗事を並べて、立派なことを言っていたとしても、結局、とても貧しい状態に戻ってしまうことが多かったようなのです。

※ここで言っている道徳的な観念というのは、普通、一般に言われているような道徳的な観念、つまり、大した正当な理由もないのに、安易に人を傷つけたり、殺めたりしない。嘘をつかない。人の物を盗まない。身を持ち崩すような過度の贅沢や遊びはしない。自分の父母や、夫や妻や子供や親族や、友人や隣人を大切にする。無駄遣いを戒め、貯蓄や運用をして、それぞれの人が、できるだけ経済的な自立をしっかり守れるようにする。自分達の代表者が、十分に話し合って決めた法律や決まり事は、しっかり守る。その上で、できるだけ自分の幸せも大切にしつつ、他の人々や生き物達のために愛の行為を行う。それから自分の良心に基づいた、宗教的、道徳的な正しい生き方を心がけてゆくことなどです。ただし、社会の変化に応じて、自分自身を貶めるわけでなく、また誰かに迷惑をかけたりして、社会を大きく混乱させるような内容でなければ、個人の自由として、認めてよいものは認めてゆくような自由や寛容の精神は、大切にするべきだと思います。

 

 続く・・・

 

 追伸

 時々、「Cecye」、もしくは、それと類似した名前を名乗って文章を載せている人がいるようなのですが、今のところ、私は、このブログのホームページ以外には、一切文章を載せていないので、そうした方と、私は一切関係ありません(ちょっと頭が変になってきている人達のようなので・・・)。一応、私のプロフィールにも、同じような文章を追加しました。

 そもそも、そんなに大勢の人が読んでいるブログのホームページでもないので、そんなに気にする必要もないと思うのですが・・・(笑)。

 

Cecye(セスィエ)

2016年9月28日 9:03 PM, お知らせ / 宗教、道徳 / 政治 / 歴史 / 社会、文化 / 経済



«

»

おすすめ記事

過去の記事