②民主化や近代化の過程では、いろいろと混乱した出来事が起きがちなので、多くの人々の間で、建前や理想論ではなく、できるだけ地の足をつけた現実の個人の体験や、企業経営や政治の結果を共有し合うようにしてゆくことが大切である
二つめは、これは、少し変わった話になるのではないかと思うのですが、こうした一昔前の王制から、民主制や近代的な社会に変わってゆく時代というのは、たいてい、古い時代の考え方や生き方と、新しい時代の考え方や生き方が、あらゆる分野で、真正面から、ぶつかり合うような状況になることが、とても多くなってきます。
たいてい、そうした時代には、誰かが、何か新しいことを始めて、ものすごくうまく行ったかと思うと、今度は、別の誰かが、ほぼ同じような新しいことを始めたのに、なかなか、うまくいかないどころか、とんでもない大失敗をしてしまうようなことが起きたり、あるいは、古い時代の考え方や生き方にしがみついて、だんだん没落してゆくような人がいるかと思えば、今度は逆に、古い伝統的なものをうまくアレンジすることで、大成功するような人が出てくることもあるなどというように、要するに、いったい何が本当に正しくて、いったい何が間違っているのか、あるいは、いったい何が、本当に良いもので、いったい何が悪いものなのか、ということが、多くの人々の間で、なかなかよくわからないような社会の状況になってしまいがちなところがあるのです。
そうすると、そうした社会の変動期には、いったいどのような人々が幅を効かせるようになるのかというと、大きく分けると、一つは新時代の騎手のような人物や企業や政治集団で、二つめは、わりと古い時代の良さや伝統を代表するような人物や企業や政治集団で、それから三つめは、そのどちらにもつかないような、要するに、今日は右に向かって進んでいたかと思うと、次の日には、左に向かって進んでゆくというような、どっちつかずの形で試行錯誤を繰り返してゆくような人物や企業や政治的な集団になります。
それでは、こうした社会の状況では、いったいどのようなことが起きるのかというと、これがとても不思議なのですが、その社会の変化が、高度成長が続いたり、大きなイベントがあったりして、行け行け、ゴーゴーの時代には、当然のことながら、新時代の騎手のような人物や企業や政治集団が大きく持てはやされるようになるのですが、そうした時代が続かず、長く不況が続いたり、長く社会の混乱が続いているような状況では、わりと古い時代の良さや伝統を代表するような人物や企業や政治集団が人気を得るようなので、そうした時代というのは、まさしく試行錯誤の時代になることが多いようです。
Cecye(セスィエ)