②たとえ同じ物事や言葉であっても、一人一人の体験の違いによって、かなり違った認識をされるようになることもある
ところが、こうした理解のプロセスには続きがあって、例えば、そのような形で「水」というものをある程度、理解したとしても、その後、池や川のような所に落ちて、大変苦しい思いをしたというような経験をした場合には、「ああ、水の中に入ると苦しそうで怖いなあ」などというように、その後、生活の様々な場面で水を見るたびに、少し恐怖を感じたり、何となく逃げたくなったりするような気持ちを持つようになるかもしれないし(「トラウマ」とも言いますが・・・)、さらにその後、例えば、水泳教室に通って、水泳がとても得意になった場合には、そうした水に対する恐怖心の気持ちはかなりやわらいでゆき、プールや川や海を見るたびに、「ああ、プールで泳ぐと楽しいだろうなあ」とか、「今度、海に言ったら、こういうことをしよう」などと、水に対して、かなりポジティブな気持ちで見るようになるかもしれないわけです。
このように人間の物事や言葉に対する感覚というのは、そうした子供時代に完全に確定してしまうようなものではなく、その後のそれぞれの人の経験の積み重ねや、その人が見聞きした他の人々の様子などによって、さらに様々な形で変化し続けてゆくようなところがあるのです。
Cecye(セスィエ)