二つめは、これは多少ややこしい話になるので、自然界の中での人間のイメージを例に喩えると非常にわかりやすいのですが、例えば、地球に人間が100人ぐらいしかいないとして、それを自然界の生き物達が見た場合には、「ああ、人間という二本足で歩いて、二本の手で道具を使う肌色の生き物がいるぞ」などというように、わりと単純に「人間(ホモサピエンス)という生き物がいる」というような感じで認識すると思うのですが、それがどんどん増えて、例えば、人間が一万人ぐらいになったとすると、おそらく、そうした頃には、いろいろな理由で職業や身分の違いがあると思われるので、「ああ、弓や槍を持って追いかけてくる野蛮な生き物だ」とか、「きれいな服を着て、植物をいじっている、わりとのんびりした生き物だ」とか、また「朝から晩まで立ったり、座ったりしながら何かを作ってる、じっとした生き物だ」とか、「滝に打たれたり、森や山や砂漠でずっと座って、目をつぶりながら何か訳のわからないことをつぶやいている変わった生き物だ」などというように、かなりいろいろなタイプの人間がいるように見えてくると思うのですが、それがさらにもっと増えて人間が何百万人というレベルまで増えてゆくと、今度はさらに人間のイメージが変わってきて、「人間という何だかよくわからないような大勢で活動している、すごい生き物がいる(わあ、たくさんいるみたいな感じでしょうか)」などというように自然界の中では、あまり細かい分類はされずに、わりと単純にザッとひとくくりにまとめられた感じで理解されるようになるのではないか、ということなのです。
これと同じようなことが自然界の生き物たちにも成り立っていて、例えば、わりと個体数の少ない生き物だと「ああ、こんな生き物がいる」というように、わりと単純に理解しやすいのですが、それがある程度の個体数のある生き物になると、「この生き物には、こういうタイプの生き物と、別のこういうタイプの生き物がいる」などというように、わりと大雑把な形で分類されるようになり、さらにもっとたくさんの個体数のある生き物になると、「もうパッと見た感じはよくわからないけれども、とにかく、ものすごくたくさんいて、いっぱい活動している」というような認識になるのではないか、ということなのです。
Cecye(セスィエ)
2016年1月29日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 自然、生命