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昔の大日本帝国憲法の問題点について Part 15

 ですから、これは現代でもまだあまりはっきりと理解されていないことが多いようなのですが、昔の大日本帝国や大日本帝国憲法のことを学ぶと、何となく「当時の日本も、戦後の日本とほぼ同じような日本人がいて、ほぼ同じような国家の運営をやっていたのかな」などと誤解しやすいのですが、実際にはそうではなくて、大日本帝国憲法というものをかなり大胆に要約してしまうと、現在の日本国憲法のように一人一人の国民の権利をしっかりと保障して、一人一人の国民の自由や幸せの上に国家の運営をしてゆこうとするような憲法のあり方ではなく、言ってみれば、明治時代特有の当時の日本の事情として、とにかく欧米の国々に植民地化されて、当時の日本人がみんな半永久的な奴隷状態にされたりしないように、まるで聖人君子の鏡のような「天皇」という架空の存在を大きく祭り上げて国民一丸で深く信奉することによって、何とか一つにまとまって欧米と肩を並べるような立派な国づくりをしてゆこうとするような、かなり究極の「国家主義」的な国づくりを目指していたようなところがあったのです。

 つまり、もっとはっきり言ってしまうと、そもそも明治時代の最初の段階から後に「明治の元勲」と言われるようになった下級武士出身の人々は、当時の非常に文明の進んだ欧米の国々の様子を実際肌身で知っていたために、当時の日本の将来に対して、本当はかなり悲観的な見方をしていて、「表向きは立派そうに振る舞わないといけないけれども、この先の日本は大丈夫かな〜」とか、「外国の軍隊はかなり強いから、何とか精神力だけでも負けない勇敢な軍隊にできないかな」とか、「現実の生活はかなり厳しいから、何とか少しでも道徳的な生活を目指すような国にできないかな」とか、「税金をきっちり取りたいというよりも、本当は国庫はいつもほとんど空っぽで、おまけにあちこちにかなりの借金まで抱えるような国の経済状況なんだけど、何とか少しでも国民に信頼されるような政府にできないかな」とか、「地方でまとまって次々と反乱でもされたら、もう政府が持たないので、何とか天皇を少しでも高く持ち上げることで政府の威信と国のまとまりを保てないかな」などというような感じで、本当はかなり悲観的な国の将来の予測をしていて、その上で、「これだけがっちりとした憲法を作って、これだけものすごい権威をつけて最高の憲法みたいな発表と教育をし続けていれば、何とかみんなついてきてくれるのではないか」というような感覚で当時の大日本帝国憲法を作ったのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2015年9月25日 9:03 PM, 政治 / 歴史



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