③豊かな社会になると、あちこちで、さらにより優れたおいしさや楽しさや面白さや便利さや快適さを求められるようになり、そうした新たな製品やサービスやシステムが溢れかえるようになってゆく
三つめは、これも日本のような先進国では、今も、まるで当たり前のように起き続けている出来事になるのですが、豊かな社会になると、そうした社会というのは、様々な物やサービスで満ち溢れているような、言ってみれば、ある意味で満ち足りた、というよりも、様々な物やサービスが、過剰な社会になってゆくものなのですが、そうすると、どうしても文明の発展段階としては、現在あるものに飽きた多くの人々は、もっとおいしい、もっと便利な、あるいは、もっと楽しい、もっと素晴らしい、もう一段上の新たな物やサービスを求めるようになってゆくと同時に、そうした時代の潮流に合わせた新たな物やサービスを提供できるような人や企業や国は、そうした豊かな社会の中で一躍有名になったり、一躍大発展できるような機会が、次々と巻き起こるようになってゆくわけです。
つまり文明の発展段階としては、だんだん豊かな社会になるたびに、今度は次の新製品、今度は次の新サービス、今度は次の新制度などというように、次から次へと新たな物やサービスを提供するような社会に変化し続けてゆくわけなのですが、そうすると必然的に、そうした豊かな社会では、その社会の一昔前の時代には、全く考えも想像もできなかったような、もう一段上の新たな豊かさ、つまり、もっと具体的に言うと、さらにより優れたおいしさや楽しさや面白さや便利さや快適さというものが、まるで当たり前のように次々と提案され、そして、どんどんと提供され、消費されるようになってゆくのです。
Cecye(セスィエ)