三つめは、これもあまり言われないかもしれないのですが、たとえ、その国や地域のルーツと呼ばれるような大昔の遺跡や文献のようなものがあったとしても、そうしたものがあることと、そうしたものが提示するものをそのまま信奉することとは全く別であるということを、しっかり理解する必要があるということです。
例えば、「ここには千年、二千年前から○○民族がいる」とか、「○○王朝がある」とか、「○○教がある」とか、「○○文明(文化)がある」などと言われたとしても、それは基本的には遥か大昔のことなので、「確かに昔の人々には関係が深かったかもしれないけれども、21世紀のその国や地域に生きる人々の立場としては、よく考えてみれば、それは、ほとんど何の血のつながりも歴史的関係性もない、別の時代の別の人々の話なのではないか」とか、「どんな人の子孫であっても、百年、二百年と経てば、間接的には最低でも何百人、何千人と血のつながりがあるわけで、昔の血のつながりよりも現在生きている人々の人間関係の方を、もっと重視すべきなのではないか(数十代もたどると東洋でも西洋でも、外国人と血のつながりがあるなんて、よくある話だと思います)」とか、「昔の文化の保護よりも、できれば現在及び未来を生きる人々の健康や幸せや繁栄を考えるべきなのではないか」とか、「実際には、数百年も昔の話になると、結構、想像上の仮説だらけの話であることも多いので、専門の学者はともかくとして、普通の人は、それほど真剣に学ぶ必要もないのではないか」とか、「たとえ昔の王朝に大変な悲劇があったとしても、よく考えてみれば、その当時、大多数の人々は、さらにその下で奴隷的生活をしていたわけなので、それほど現代人が悲劇のように考える必要は全くないのではないか」などというように、あまり深い暗い硬い思い込みを持たずに、できるだけ客観的で冷静な、また楽しい幸せな物の見方をすることがとても大事だと思います(歴史的な教訓を生かすことは、とても大切なのですが、何も昔の人々の込み入った事情によるごちゃごちゃした、いざこざまで、いつまでも現代人が引きずる必要はないのではないでしょうか。単純に言って、ごくごく正当な主張や自然な感覚の話は全く別なのですが、多くの人々がお爺さん、お婆さん、ご先祖様のご恩や恨みというような「昔、昔・・・」的な発想をやめてから、現代のような近代化の歩みが始まったので・・・)。
Cecye(セスィエ)
2015年5月8日 9:06 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 時間と空間の秘密 / 歴史 / 現在のアセンションの状況