3、特に若いうちは、自分の可能性をあまり限定せずに、いろいろな可能性にチャレンジしてみた方がよい
さて、こうした観点から見ると、人間の人生には、その人が生まれる以前から、まるで、あらかじめ決まっているかのように見える思われる運命の部分と、それ以降の、その人自身の努力や他の人々の影響によって、ある程度、自由に作り替えてゆける運命の部分の両方があることになるのですが、こうした状況から言えることは、要は、どんな人であっても、その人自身の人生の状況としては、もう、ある程度、定まってしまっているために、そう簡単には変更不可能な部分と、よく考えてみれば、それなりに調べたり、努力したり、何か行動してみたりすれば、かなり大きく変えることのできる、変更可能な部分の両方がある、ということなのです。
今度は、そうした観点から、人生の営みについて、考えてみたいと思うのですが、これは、若いうちには、なかなか、よく分からないことも多いと思うのですが(私も、この世的には、それほど年をとっているわけではないのですが・・・)、人間というのは、ある程度、年をとった頃になると、「ああ、あの時、ああしていれば、今頃、自分はどうなっていたのかな〜」、とか、「だけど、今の自分があるのは、あの頃の自分の行動の結果だしな〜」、などと考えてみたり、あるいは、「今までの人生は、やっぱり、何かの運命だったのだと思う」、とか、「自分は、こういう人生を生きてきて、とても幸せだった」、とか、「とても大変で不幸だった」、などと、いろいろ考えたりするようになるものなのです。
ただ、私は、やはり年齢が若いうちは、あまり最初から、「これは無理」、とか、「こんなことやっても仕方ない」、などと決めつけずに、何かチャンスがあったら、できるだけ、いろいろなことにチャレンジしてみて、その上で、「自分は、どんなことに向いているのか」、とか、「自分は、何をしている時に、一番幸せや充実感を感じるのか」、ということを、自分自身の実際の体験として、知ってゆくことが、とても大切なのではないか、と考えています。
それというのは、その結果、「何となくは知っていたけれども、深く知る機会もなかったし、実際にやる機会もなかったので、結局、何もせずに終わった」、というのと、そうではなく、「最初はよく知らなかったけれども、実際に自分でやってみて、たとえ、それほど、うまく出来なかったとしても、自分には、どれくらい興味や才能があるのか、ある程度は、はっきりと分かった」、とか、「その過程で、たくさんの心から分かり合える友人や、いろいろな知恵や経験を得ることが出来た」、というのとでは、やはり長い目で見ると、かなり大きな差があるようなところがあるからなのです。
つまり、いっけん、その人その人にとって、すべてあらかじめ決まった運命でもあるかのように感じられる「天命」のようなものがあったとしても、そうしたものは、最初から、あまり決めつけるような態度はとらずに、特に若いうちは、自分に与えられた機会は、できるだけ生かして、いろいろなことに挑戦してみて、「ああ、これには、こんな楽しみもあったのか」、とか、「これは、いっけん簡単そうだが、やってみると意外と、結構、難しいものだな」、とか、「自分には、全然、才能なんてないと思っていたけど、意外と、このアートやスポーツはやってみたら、出来そうな気がしてきた」、などというように、そうした実際の見聞きや体験の上で、「自分に最も向いている感じがする」、とか、「自分が一番ワクワク感や楽しみを感じる」、とか、「自分が、最も人に役立っているような充実感が感じられる」、とか、「これなら、一生の仕事や趣味にしてゆけそうだ」、とか、「こういう仲間達と、ずっと一緒に過ごしてゆきたいな」、などと思えるような学びや遊びや仕事やスポーツや趣味のようなものを見つけてゆくことが、とても大切なのではないか、というように、私は感じております。
Cecye(セスィエ)