少し質問が来ていたのですが、かなり微妙な話が絡んでいたので、すっかり遅くなってしまいましたが、選挙は明日なので、その中の一部のみ、とりあえず先に公開しておきたいと思います(多分、後で編集して順番を入れ替えます)。
「平和で豊かで幸福な国の実現」という戦後の日本の国家目標は、数十年前にほぼすべて実現してしまった感があるので、現在の日本は、「高度幸福大国」を目指すような新たな国家目標を掲げる強いリーダーシップが必要とされる時代に移り変わってきている
特に日本では、戦前の軍国主義への不信感から、いまだに強いリーダーシップのある政治家が登場することに対する強い不信感があるように感じられます(これは特にどこの政治家や政党を支持するとか、支持しないというような意味ではないのですが・・・)。
ただ、現在の日本の状況を客観的に見てみる限り、戦後の日本政府、並びに多くの日本人が掲げていた政治目標、つまり「平和で豊かで幸福な日本の実現」というような政治目標は、ほぼすべて達成してしまったようなところがあるので、現在の日本は、その次の段階の「幸福大国日本」を目指すような新たな国家目標を掲げない限り、はっきり言って、十年経っても、二十年経っても、これまでとほぼ同じような長期停滞状態に陥ったままになるのは、ほぼ確実な未来のシナリオになるのではないかということなのです。
つまり今から数十年前の戦後の日本では、
①戦争は、とてつもなく大変だったので、とにかく平和な国づくりをしたい。
②国中どこも荒廃して貧しかったので、とにかく当時のアメリカみたいな豊かな国にしたい(戦後すぐのヨーロッパは、まだ荒廃した状態だったので)。
③戦前の統制社会はひどかったので、とにかく自由で平等な、いろいろなことができる社会にしたい。
④戦前は国際的に孤立して、ひどい目に遭ったので、戦後は、とにかく国際関係は仲良く、そして世界中の国々すべてが豊かに発展してゆけるような良好な国際関係を築いてゆきたい。
というようなことが、少々の違いはあっても、ほぼすべての政治家や国民の願いであったわけなのですが、それが今から、だいたい20年以上前の1980年代の後半ぐらいになると、それらの政治目標は、ほぼすべて実現してしまったような政治や社会の状況になってしまったために、それ以降、日本の政治や社会は、それこそ、あっちに行ったかと思えば、また、こっちに戻ってくるというような、かなり長期間に渡る長い長い停滞状態に置かれてしまったようなところがあるのです。
それでは、現在以降の新たな日本の国づくりのために、いったい日本人はどうすればよいのかというと、人により少々意見に違いがあったとしても、私は、だんだん次のような三つの政治や社会の方向性に行くことが定まってゆくのではないかと考えています。
①現在の日本は、なんだかんだ言っても平均的に見た場合、物質的幸福はかなり極限に近いくらい実現できているようなところがあるので(現代人の感覚ではなく、昔の人々の生活実感との比較です)、「本当の幸福とは、いったい何なのか」、それから、そうした「本当の幸福の実現のためには、いったい何をすればよいのか」ということを国民通津うらうらまで真剣に考え、求め続けてゆくような「高度幸福社会」を夢見るような方向に行くのではないかと考えています。
②次には、これは日本のみならず、現在、世界中でかなり大掛かりな規模で進められているような内容になるのですが、要するに現在、人類が考えられる「最高幸福社会」、つまり「夢の国」、「夢のユートピア世界」、「理想のパラダイス」とは、いったいどのようなものなのかということを政治の世界のみならず、経済や医療や建築、芸術文化など、ありとあらゆる分野において、たとえ試行錯誤しながらでも、いろいろな形で現実化してゆこうとするような、つまり「理想のパラダイスの実現」というのが、だんだん地球人すべての願望になってくると思われます。
③そして、これはかなり変わった話になってくるのですが、第三には、そうした潮流の中で「結局、人間とは何なのか」、それと「人間や生物を取り囲むこの地球や宇宙とは、いったい何なのか」ということをかなり真剣に調査し、探求しようとする「ニュー・アカデミズム」のようなものが、多くの人々の間でだんだん盛んになってゆくのではないかということです。
さて、こうした観点に立つと現在の日本の政治に関して、いったいどのようなことが言えるのかというと、とにもかくにも言えることは、首相を初めとする内閣や党といった政治グループが中心になって、多少の試行錯誤はあったとしても、大多数の国民が支持できるような良い方向でどんどん力強くリードしてゆき、「今後の日本を、いったいどのような方向で繁栄させてゆくのか」というような国家のグランド・デザインをたくさんの有識者や一般の人々を巻き込みながら、かなり明確に打ち出し続けてゆく必要があるということです。
そして、それは戦後の日本の復興や発展の経緯とほとんど同じように最低でも数十年、できれば百年ぐらいのスパンでかなり明確に描かれた未来の幸福大国の青写真でなくてはならないのではないか、ということです。
政治家が、個人として優秀であることはとても重要なのだが、それと同じくらい多くの人々の話を普通の人目線で聞けて、最善の決断や調整ができるような人間力は、もっと重要な政治家の資質であると言える
それともう一つ付け加えておくと、よく政治家は、学者や文化人のような人がいいというような話が出てくることがあるのですが、私は民主制の最大の危機は、多くの人々が王族や大統領や首相や議員といった政治家の人々を過剰に持ち上げて尊敬しすぎたり、逆に放ったらかしにし過ぎたりして、政治の世界が一般大衆から浮き上がり、遊離してしまうことなのではないかというように考えています。
ですから私は、どちらかと言うと政治家は、たとえ良識の府である参議院の議員であるとしても、当然、その人自身が個人として優秀であり、かつある程度しっかりした自分自身の意見や考えを持っていることは大変重要なことではあるのですが、いろいろな世界の専門家や財界人や役人の人々の意見のみならず、多くの普通の人々の意見を、普通の人目線でしっかり聞いた上で最善の決断や調整ができるような、いわゆる人間力のある人物を選んだ方が賢明なのではないかというように考えております。
追伸
最近、私が、普段行っている霊的な仕事についての質問があったのですが、多分、最近、多くの人達があまり強い劣等感や罪の意識に苛まれることが少なくなったり(つまり何となく自信が感じられるようになった人が多いのではないでしょうか)、以前より記憶力や認識力の面で良くなるようなことが起きているのではないかと思われるのですが、そうした人類に対するマインド・コントロールの除去が、普段行っている霊的な仕事になります。
あと最近は、人間がいろいろ感じたり、考えたりすることについての内容のマインド・コントロールの除去が多いので、多分、そのうち異常な幻覚や幻聴の症状を訴える人が大幅に減ってくる可能性があります。
ただ、本当にめちゃくちゃな話が多いので、多分、まだまだ、かなり時間はかかるものと思われます。
Cecye(セスィエ)
2013年7月20日 9:08 PM, おすすめ記事 / 政治 / 私の霊的な仕事について