4、ここ数百年前後の地球の時代は、「千年王国」や「弥勒の世」とも呼ばれる、アセンション後の理想世界の地球に進化してゆくための、非常に重要な出来事が、たくさん起きている時代に当たっている
第四には、これは、かなり変わった話になるのですが、霊的宇宙的に見た場合には、実は、現在から数百年ぐらい後の、アセンションが、かなり進行した後の未来の地球、つまり、このブログで何度か述べてきたような、半分、物質世界で、半分、霊界のような未来の地球の様子のことを、これまで、何百年、何千年も昔の地球の人々は、ある種の憧憬を込めて、「千年王国」とか、「弥勒(みろく)の世」などと呼んできたようなのですが、そうした「千年王国」や「弥勒の世」が実現するために、どうしても不可欠なエポック・メイキングになるような出来事が、現在の地球では、今も静かに進行しつつある、ということなのです。
それは、いったい、何なのか、というと、これは説明がかなり難しいのですが、手短かに言うと、要するに、現在の地球では、多くの人々が、これまで非常に永きに渡って、続いてきた物質世界での、かなり根強い、さまざまな習慣やしがらみのようなものを、少しずつですが、かなりきっぱりと拒絶し、手放し始めるような状況になってきている、ということなのです。
では、その物質世界のかなり根強い習慣やしがらみというのは、いったい、何なのか、というと、これは、よく考えてみないと分かりづらいのですが、要約すると、だいたい、次のような三つの内容になります。
①近代化以前の社会と比べると、高度に発達した先進国の社会では、物や土地やお金の価値よりも、人間や生き物自身や、その満足や幸福の価値の方が、相対的に高くなってゆく
まず第一には、これは、特に経済成長して、その国が、かなり高度な先進国になった後に訪れる社会的な状況のようなのですが、要するに、それ以前の近代化する以前の社会では、「農業や商売をし続けるには、土地や建物がないと、もうどうしても生きてゆけない」、とか、「あまりにも社会全体が貧しいので、お金のために、土地や物ばかりか、人間まで人身売買で売り物にされてしまう」、とか、「昔からの決まった仕事しかないので、王様や貴族の命令に従わないと、それは、即失業と家族の飢えをもたらすことになってしまう」、とか、「基本的に、家や身の回りの物は、すべて手作りなので、たとえ、自分が、どんなに気に入らなくても、使いづらくても、もう痛んで壊れるまで使うしかない」、というような状況に置かれがちだったのですが、それが、物質的に豊かな先進国になって、しばらく時間が経ってゆくと、「良い企画や、ある程度のお金さえあれば、土地でも、建物でも、機材や材料でも、ある程度は、何でも自由に手に入る」、とか、「社会全体に経済的余裕があるので、一人一人の人権を十分に守ることができる」、とか、「別に昔からの王家や貴族を無理に立てる必要はないので、自分の言いたいことや、やりたいことは、ある程度、自由にできる」、とか、「生活必需品は、溢れかえるほど大量にお店に並んでいるので、何も古くて、汚い物を使わなくても、自分の都合や好みで、好きなものを買って、自由に使うことができる」、というような状況に変化してきた、ということなのです。
これは、多くの人々の意識に対して、いったい、どのような変化をもたらしたのか、というと、「物や土地やお金よりも、アイデアや知恵の方が大切なのだ」、とか、「物は壊れたって、直せば済むし、お金もなくなったって、後から何とかできるかもしれないけれど、人の命は失ったら、元に戻せないから、物やお金よりも人命優先にしないといけない」、とか、「現在は、何か創るための材料や手段は溢れ変えるほどあるから、それよりも、人間の満足や幸福や感動や心地よさ優先で、いろいろな物作りをしてゆかないといけない」、とか、「昔は、お金がないと生きてゆけなかったけれども、今は、そんなにたくさんのお金は、別になくても困らないから、それよりは、自分が最も価値ややりがいを感じられるような生き方をした方がいい」、などというように、実は、ある程度、高度な経済発展を遂げた国々の社会では、それ以前の近代化する前の社会よりも、さまざまな意味で、物や土地やお金の価値が相対的に低くなり、その反対に、人間や生き物自身や、あるいは、そうした人間や生き物の満足や幸福や感動や心地よさの価値が上がるような状況になってきているのです。
追伸
要するに、もっと簡単に言うと、昔は、「欲を持たないようにしないと・・・」、とか、「執着を断たなくては・・・」、などと、多くの人々が、一生懸命、努力していたことが、ある程度、物質的に豊かな社会になると、さほど大した努力をしなくても、「省エネルギーやリサイクルは大切だけど、別に物なら、たくさんあるから・・・」、とか、「物やお金より、人の命や自分の時間の方が、よっぽど大切だから・・・」、などというように、自然自然のうちに、ある程度、精神的に浄化された形で生きてゆけるようになる、ということです。
Cecye(セスィエ)
2013年5月20日 9:07 PM, おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳 / 社会、文化