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「愛」について Part 4

4、人を愛する気持ちは、人間の心の中に非常に大きな悦びや満足感をもたらすものだが、それが行き過ぎると自分が見えなくなったり、妙なエリート意識のようなものが芽生えて、とても乗り越えるのが難しい愛の罠に陥ることがあるので注意が必要である

 第四には、これは、愛について、深く考えたことのある人であっても、あまり深く考えたことのない内容になるかもしれないのですが、人間が、愛について、深く考え、行動してゆくと、どんな人であっても、必ず陥ってしまいがちな二つの失敗、というか、愛の罠のようなものがあるので、注意が必要なのではないか、ということです。

 まず一つめの愛の罠は、どんな人であっても、「人を愛する」、あるいは、「人のために何かをする」、ということは、人間の心の中に、ものすごい至福の感覚や満足感をもたらすことが多いために、気がつくと、そうした愛の感情に溺れて、自分がやるべき努めのようなものを、いつの間にか、だんだん軽視するようになってゆき、気がついた時には、大失敗してしまう、とか、あるいは、気がつくと、自分の愛情が、相手の気持ちを無視して、独りよがりのものになってゆき、相手の気持ちが、すっかり分からなくなってしまったり、自分の気持ちだけが、先走りしてゆき、自分と相手の間の関係が、いつの間にか、訳の分からないような形で、どんどん空回りするような状況になってしまうことがある、ということです。

 二つめの愛の罠は、これは、あまり考えたことがない人が多いかもしれないのですが、実は、愛の感覚の中には、恐ろしい欠点があって、「他の人のために何かしたい」、とか、「もっとたくさん愛を与えてゆきたい」、などというような気持ちを持っている人に限って、いつの間にか、「この世の常識や、普通の人間としての感覚が、だんだん、どうでもよくなってきてしまう」、とか、「いくら他の人々に、『それは間違っている、やめろ』、と言われても、自分が信じた神や指導者の後に、どこまでもついてゆきたくなってしまう」、とか、「愛の気持ちで生きている自分の方が、普通の社会の常識に沿って、生きている多くの人々よりも、より素晴らしい、より尊い、偉い人間なのだ」、というような、本当の愛の感覚とは、正反対の感覚であるはずの、「自分が、他の人々よりも、より偉い上の立場に立っているのだ」、というような、ある種の選民意識やエリート意識、というか、ある種の差別意識のようなものを、いつの間にか、持ってしまうようなところがある、ということなのです。

 つまり、巷でよく言われるような、「愛の尊さ」や「愛の素晴らしさ」の感覚とは、かなり違った、愛にまつわる、かなり特殊な意識が、愛の感情のすぐ裏に横たわっているようなところがある、ということなのですが、その理由を、私なりに考えてみると、だいたい、次のような二つの理由になります。

 まず第一には、これは、あまり深く考えた人は少ないかもしれないのですが、実は、愛の感情の中には、普通の愛にまつわる人間の感覚、つまり、単に、「あの人のことが好きだ」、とか、「人のために、何かすると気持ちがいい」、とか、「こんなに、いろいろなことをしてもらうと、何かお返しのようなことをしてみたくなる」、というような気持ち以外に、「常に人のために、何かしていないと落ち着かない」、とか、「こんなに、いろいろ尽くしたのに、何も返ってこないなんて、許せない」、などという具合に、普通の純粋な愛の感覚以外に、少し病的、というか、少し被害妄想や加害妄想が加わったような形の、いわゆる、精神的に少し病んだ、ネガティブな形の愛の感覚というものも、世の中には、結構、根強く存在しているからなのではないか、ということです。

 第二には、これも、ちょっと変わった話になるのですが、人間の心の中には、「本当は、あなたは、いったい、何がしたいの?」、と聞きたくなるような、いわゆる、ちょっと不思議な、得体の知れない、強い精神衝動のようなものが潜んでいて、それが、多くの人々が、後から考えてみると、「なんで、あの時、自分は、そんなことをしたのか、よく分からない・・・」、というような不思議な言動、つまり、「その時は、自分としては、それが、絶対に正しくて、良いことと思って、やったのに、後から考えてみると、なんで、自分が、そんなことをしたのか、全然、よく分からない」、とか、「自分としては、いつもは、冷静で、結構、それなりに賢いつもりなのに、なぜか、その時だけは、まるで魔物に取り憑かれたように、とんでもない変なことをしてしまった」、というような、変な言動を引き起こす原因になっていると思われるのですが、その根っこの原因をたぐってゆくと、そこには、ちょっと、ねじ曲がった愛の迷路のようなものが横たわっていることがあるのです。

 その愛の迷路とは、いったい、何なのか、というと、おそらく、これは、これまでの人生で、ずっと普通の精神状態を維持してこれた人には、かなり不思議な話になるにも関わらず、これまでの人生で、一度でも、幻覚や幻聴といった、かなり異常な精神状態に陥ったことのある人には、わりと、すぐに理解できるような話になるかもしれないのですが、現在の人間(それから、ある意味では、動植物も)の心の奥底、つまり、潜在意識の領域には、普通の人間の感覚では、全然、説明できないような、かなり異常な意識の世界(もしくは、異次元世界)が広がっていて、それが、時折、人間の表面意識の世界に出てくると、そうした、かなり異常な感覚や言動になって、現れてくることがある、ということなのです。

 それでは、それは、いったい、何なのか、というと、これは、短い説明では、ちょっと説明しづらいのですが、要するに、人間の心の奥底には、これまで非常に長い時代に渡って、結構、切実な感じで、「いつも誰かから見張られている」、とか、「いつも誰かから責められている気がする」、とか、「ここから出られない」、とか、「誰かに殺される」、とか、「なぜかは分からないが、とてつもなく痛く、苦しい気がする」、とか、「誰も自分を愛してくれないし、誰も自分のことを認めてくれない」(よく精神病の患者や、追いつめられた精神状態の人が語る内容だと思います)、などというような、かなり強烈なネガティブな意識が押しつぶされた領域があって(多くの人々に深く関係するような集合意識的な形で)、それが、ふとした弾みで表に出てくると、いろいろな精神異常や、いろいろな異常な言動に現れてくるようなところがあったようなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年11月27日 9:02 PM, 愛について



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