ですから、こうした年とった人々の長所と短所と、若い人々の長所と短所をうまく組み合わせることができれば、その社会として、もっと幸福でもっと住み良い素晴らしい社会にしてゆけるのではないか、ということになるのですが、これに関しては、次のような三つのことが言えます。
まず第一には、とにもかくにも、はっきり言えることは、若い人であっても、年とった人々であっても、あまり社会的な体面にとらわれずに、できるだけ自分のストレートな本音で話し合えるような機会を持つことが、とても大切なのではないか、ということです。
第二には、これはバランスが、とても難しいのですが、何らかの人々の集まりがある場合には、その集団の目的や楽しみや利益をよく考えた上で、たとえ年とった人々にとっては、簡単なことであっても、若い人に出来ることであれば、あえて年をとった人々は、やり過ぎない、出しゃばりすぎないとか、あるいは、その反対に若い人々で勝手に決めて、やってしまっても良さそうなところを、あえて年とった人々に一言、話を通して、助言や協力を受けてからやるなどというように、若い人々と年をとった人々が、お互いにやりすぎず、やらなさすぎず、また、お互いに出しゃばりすぎず、遠慮しすぎず、などというようにうまくバランスをとりながら、その集団としての最大の目的の達成や楽しみや利益の獲得を目指してゆくことが、とても大切なのではないか、ということです。
第三には、これは、もう少し簡単な話になるのですが、年とった人々であっても、ほんの少しだけでもいいから、できるだけ若者文化を、自分の仕事や生活の中に取り入れるようにすると共に、また若い人々であっても、同じように、ほんの少しだけでもいいから、できれば、年をとった人々の文化を、自分の仕事や生活の中に取り入れるような工夫をしてゆくことが、とても大切なのではないか、ということです。
たいてい、年をとった人々の文化には、長い年月の間に培われた歴史や伝統の重みや落ち着きのようなものがあり、逆に若い人々の文化には、若い人々特有の華やかさや新鮮さや、単純な合理性や便利さのようなものがあることが多いので、ともすれば単調になりがちな自分のライフスタイルの中に時折、そうした世代を越えた、違った何かを取り入れてゆくことが、とても大切なのではないか、ということです。
Cecye(セスィエ)
2012年11月5日 9:05 PM, 社会、文化