③年とった人々と若い人々の文化をうまく融合させることによって、できるだけ、お互いの短所を少なくし、お互いの長所を増やして、最高に幸福で楽しい社会づくりを目指してゆくべきである
第三には、おそらく、その際に最も大きな障害となるのは、社会的な体面を外して、お互いの本音を、どれくらい気楽に話し合えるか、ということなのではないかと思われるのですが、これに関しては、次のようなことが言えます。
まず最初に、これは年をとった人々の長所と短所の話になるのですが、たいてい長年、社会の間でもまれて、たくさんの経験を積んだ人々というのは、若い人々には、全く未知の話でも、パッと聞いただけで、「ああ、それをやると、こういう失敗が考えられる」とか、「昔、それをやって、大失敗した人がいたんだよな」などという具合に、もう反射的に何かアクションを起こした後の結果や、その後の影響の連鎖が、パッパッと見えてきてしまうようなところがあるのです。
それゆえ、ある程度、年をとった人々というのは、良い点としては、たいてい、よほどのことがない限りは、何かあっても非常に落ち着いていて、わりと精神的にも動揺が少ないようなところがあるのですが、悪い点としては、逆に「もうこれが、自分にとっての絶対に間違いのない幸福の姿」とか、「この年になったら、もうこれで自分の人生は十分」などというように、ほとんど何も目新しい冒険をしなくなると共に、わりとほぼ同じようなパターンの人生を、それが続けられる限り、いつまでもいつまでも続けようとしてしまうようなところがあるのです。
次には、若い人々の長所と短所の話になってくるのですが、たいてい、まだ社会のことを、あまりよく知らないような若い人々というのは、そうした年をとった人々にとっては、全く当たり前のことであっても、「これは、ものすごく楽しい!」などとウキウキと喜んでいたり、また、「簡単なことだと思ったのに、やってみたら、すごく難しかった」などと壁にぶつかって、悩んでしまったり、あるいは、「これは、とても難しいことなので、全然やる気も出ない」などというように、年をとった人にとっては、とても簡単に感じるようなことであっても、ものすごく難しく感じて、何もしなかったりしてしまうものなのです。
それゆえ若い人々というのは、良い点としては、そうした年をとった人々の社会的なバックアップや保護があるために、たいてい、まだ知らないことや出来ないことが多いわりには、わりといつも楽しく、にぎやかに過ごすことができたり、また年とった人々には、絶対不可能に感じられるようなことであっても、素朴な疑問を持って、「いや、本当はうまくやれば、何か出来るのではないか」などと積極的にトライして、実際に成功させたりしてしまうようなところがあるにも関わらず、逆に悪い点としては、もし、そこに年とった人々の知恵や助言があれば、「そんな簡単な失敗や間違いなんて、絶対しなかったのに・・・」などというように、いわゆる世間を知らないことによる、ごくごく単純な原因による失敗や間違いを、わりと簡単にやってしまうようなところがあるわけです。
Cecye(セスィエ)
2012年11月5日 9:03 PM, 社会、文化