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敗戦国側の政治家や一般市民の考え方と、戦勝国側の政治家や一般市民の考え方の違いについて Part 3

 そうすると、この場合、いったいどのような考え方が、わりと中庸的な考え方になるのかというと、大まかに言うと、だいたい次のような四つのことが言えます。

1、長い歴史の間には、どの国でも、こうした敗戦国の立場と戦勝国の立場の間の行ったり来たりを繰り返すような傾向があるようなので、私は、どちらかと言うと、こうした戦勝国側の立場と敗戦国側の立場の両方の立場に立って、わりと冷静に公平に考えられるような見方を持つことがとても大切なのではないか、というように考えております。

2、そうすると戦勝国側では、わりと単純な軍事的な主張が強くなり、その反対に敗戦国側では、加害者や被害者としての負の主張が強くなるような傾向があるようなので、戦勝国側では、戦争の犠牲や被害のことよりも、「戦時中、どんな勇敢な軍人の活躍があったのか」とか、「そうした戦争の遂行によって、いったいどんな素晴らしい政治目的が実現できたか」というような勇ましい武勇伝の数々や、大局的な戦争目的の実現度の観点から考えられることが多く、その反対に敗戦国側では、「そもそも、その戦争は、いったい、なぜ始められたのか」なんてことはどんどん忘れ去られてゆき、とにかく戦争の被害や悲しみの方にばかり目が行くようなところがあるようなのですが、私は、昔の戦争に対する評価に関しては、そうした軍事上の成果や、大局的な政治目的の実現度の観点と、事細かな戦争の犠牲や被害の観点の両方を公平に持つべきなのではないか、というように考えております。

3、ただ、やはり戦争は、双方に多大な犠牲を強いるものなので、できれば、よほどの国際的な非常事態でもない限りは、私は原則、国家間のいざこざの解決には、軍事力の行使よりも、外交関係の促進や、双方の経済や文化交流の促進の方が、よほど良いのではないかと思うのですが、特に現在のように全世界的な融和ムードの中であるならば(アジアの辺りは、最近、少しごちゃついていますが・・・)、とにかく近隣の国々が、お互いの門戸を開いて、できるだけ親密な関係を作り、多くの人々が国境を越えて、あちこちで一緒に仕事を進めているとか、あちこちでお互いの映画や小説や美術といった文化交流を進めているとか、留学や観光旅行などで、お互いの国に気軽に行ったり来たりしているとか、多くの人々が英語やスペイン語や中国語といった国際公用語を覚えて、あちこちで仲良くコミュニケーションしているなどというように、できるだけ多くの国々の人々が、お互いになくてはならないような草の根的な交流を続けてゆくような状況の方が、より望ましいのではないか、というように感じております。

4、それから、これはあまり聞かない話になるのではないかと思うのですが、できれば、そう遠くない将来、昔の国同士の対立関係を前提に作られた国際連合の枠組みの上に、全地球的な融和と平和と繁栄を目指した「地球連邦」的なものを作り、その上で恒久平和の実現と、全地球的な規模での理想のパラダイス化を目指すような取り組みが始まることが望まれるのですが、そのためには、次のような三つの準備が重要になります。

①自分の国の人々も、また相手の国の人々も双方が、最も経済的に潤う形の地域間の経済交流を促進して、多少、外交的に混乱したとしても、基本的には、お互いの国の中のできるだけ多くの人々が、仕事や生活の上で、もう隣の国との関係がないと、どうにもならないというくらいの、より密接な経済交流を進めてゆく。

②英語やスペイン語や中国語やフランス語やアラビア語といった国際公用語を単に習うのではなく、実際に大勢の外国人と気軽に交流できるような形でしゃべれたり、読み書きできるような人を一人でも多く増やすのみならず、そうした草の根的な交流を、さまざまな形で地道に進めてゆくようにしてゆく。

③できるところから小EUのような形で、それぞれの国がある程度、自立してはいるけれども、基本的により大きな経済圏に属して、一緒に繁栄しているというような広域経済圏を作って、少しずつ全世界的な融和と統合に備えてゆくことがとても大切なのではないか、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年8月25日 9:06 PM, 政治 / 歴史 / 社会、文化 / 経済 / 軍事



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