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より冷静で客観的な歴史認識を持った上での、世界の国々と末永く平和に繁栄してゆけるような未来志向の国家運営を目指して Part 3

3、戦後、ドイツに関しては、日本と同様に戦争に敗北して焼け野原となり、多くの領土も失い、何かあると国際的に非難されるような悲惨な状況になるのみならず、戦前、戦中に掲げていた独裁主義や民族主義や、軍事拡張路線や経済至上主義なども、みごとに破綻してしまったのだが、結果としては、戦前から多くの人々が、ずっと望み続けていたような安心して生活できる平和で豊かな社会を建設できるような不思議なパラドックスが起きた

 第三には、今度は話を転じて、ヨーロッパ戦線の話について、少し考えてみたいと思うのですが、今日よく知られているように独裁者と言えば、「ヒットラー」というように例の有名なナチスを率いたヒットラーによるドイツの侵略によって、ヨーロッパを中心に全世界で大戦争が巻き起こったわけなのですが、これもそうした戦争や戦争中に巻き起こった出来事の一つ一つについては、基本的に私も良いなんて、とてもではないが言えないところがあるのですが、ただ、これも非常に不思議な話で、当時のドイツを中心に繰り広げられたヨーロッパの大戦争の後の世界では、ドイツも敗戦によって焼け野原となり、多くの人々が家族や家を失い、広い領土も失い、また何かあるとナチス時代の非人道的な行為を責められるような状況になってしまったのみならず、その上、戦前、戦中を通して、そうした当時のドイツが掲げていた独裁主義や民族主義や、軍事拡張路線や経済至上主義などに関しても、その後の世界では一緒に、まるで悪の代名詞のように考えられるようになり、だんだん衰退してゆくようになったのですが、ところが、なぜか戦後の世界では(かなり長い期間に渡って東西に分断されていましたが)、戦前のドイツ人が期待していたようなことは、非人道的なことを除き、ほとんど実現されてしまったようなところがあるのではないかということです。

 第一には、これは歴史的には有名な話ですが、そもそも、なぜナチスが台頭してきたかというと、第一次世界大戦後、ヨーロッパの国々が戦後の後始末をつけている時に、「自分の国さえ良ければ、負けた国の人々のことなんて、どうなっても構わない」とでも言わんばかりに、ものすごい賠償金をドイツに押し付けた上に、その後、ドイツが、どんなに混乱し、大変な状況になっても、自分達の国の利益のことだけを考えて、原則放ったらかしにしてしまったことにあったということです。

 ところが第二次世界大戦後の戦後処理の段階では、そうした政治的な教訓が十分に活かされて、ドイツのみならず、日本やイタリアも含めて、それ以前の戦争のように負けた側に高額な賠償を押し付けるような状況がなくなったばかりか、これは世界恐慌の影響で戦後の経済原理が変わったことも大いに関係あるのでしょうが、敗戦した国々は、アメリカやソビエトといった大軍事大国の傘下の同盟国にきっちり組み入れるようにするけれども、その代わり、かなり大規模な食料や生活必需品や資金の援助を受けられるような状況になったということです。

 ですから第二次世界大戦後の敗戦国は、高額な賠償金を課されて、再び一か八かの軍拡競争の道を選ばなくても、その後、国防的にも政治的にも経済的にも、わりと安心して、それぞれの国を再建してゆけるような状況になったということです。

 第二には、これも有名な話ですが、大戦前の世界は、どこかの領土や植民地にされずに何とか独立を維持して、そこそこの国民生活を維持してゆくためには、それこそ、ものすごい軍事大国になるか、あるいは、そうした軍事大国の傘下に入って傀儡(かいらい)政権のような状況にしなければならなかったのですが、それが戦後になると、結局、国際的には、資本主義陣営と社会主義陣営の大きく二つに大きく分かれることになってしまったのですが、基本的には、どちらかの陣営に属してしまえば、その後は、そこそこ国際協調的な国家運営さえしていれば、それほど強い軍事的な脅威というものを感じなくても済むようになったということです。

 それから第三には、これも第二次世界大戦の反省から生まれた制度の一つだと思われるのですが、大戦前は世界恐慌の影響もあって、国際間の貿易がかなり制限されてしまい、それによって、かえって孤立し追い込まれた日本のような国が、一か八かの軍事的賭けに出ざるを得ないような状況に追い込まれてしまったようなところがあるのですが、戦後はその教訓で原則、国際的には、アメリカのような経済大国が進んで自分の国の市場を開き、自由貿易を促進するような立場をとったので、その結果、どの国も資源や製品の輸入に関しても、またそれらの輸出の関しても、基本的にほとんど心配の必要がなくなったので、国際社会を信頼して、かなり安心して国家の経済運営ができるようになったということです。

 それと第四には、これも大戦の猛烈な反省の一つなのではないかと思われるのですが、「皇帝」の治める「帝国」がなくなったのと同様に、同じく「独裁者」の主導する「独裁国」というのも、戦後、ヒットラーの影響で、まるで悪の代名詞のように言われるようになってしまったので、どこの国でも非常に嫌われるか、もしくは、かなり慎重に扱われるようになってしまったので(まだ、国内の政治的安定が今一の国では、そこそこ強力なリーダーシップを発揮するような独裁志向の政治家が必要な場合もあるのですが)、その結果、基本的な世界の基調としては、民主的なリーダーが統治する国が望ましいというような方向に完全に定着するようになっていったということです

 それから第五には、民族主義に関しても、戦後は、ある程度まとまった民族規模での独立は、国際的に承認されるようになったのですが、ただ「自分の民族が他民族より優越するので、自由に支配してよいし、他民族の人権をいくら蹂躙(じゅうりん)しても構わない」というような行き過ぎた民族主義に関しては、国際的にかなり嫌悪されるようになったということです。

 第六には、経済至上主義に関しては、これは戦後、「ケインズ政策」と呼ばれて、どこの国でも非常に大規模に計画的に行われるようになったものと非常によく似ているのですが、ただ昔のドイツの場合は、ヒットラーが開戦のために急いでいたこともあったのでしょうが、非常に無計画で行き過ぎた面があったのが非常に問題だったようなので、大戦後の世界では、実際の国家の状況を重視した、もっと緻密で計画的な経済政策が取られるようになったように思われます。

 ですから、こうした点から見ると、これも一種の歴史のパラドックスに当たるのでしょうけれども、第二次世界大戦後、ドイツに関しても、単に敗戦によって焼け野原となり、多くの人々が家族や家を失い、多くの領土を失い、何かあると昔の非人道的な行為のことを外国から激しく非難されるような状況になるのみならず、そうした戦前、戦中のドイツが掲げていた独裁政治や民族主義や、軍事的な覇権主義や経済至上主義などに関しても、戦後はかなり悪者扱いされるようになってしまったのですが、それにも関わらず、多くの人々は、戦前、戦中を通して、ずっと望み続けていた平和で豊かな社会を建設してゆけるというような不思議なパラドックスが起きたということです。

※枢軸国と言えば、あとイタリアですが、若干、ドイツと状況が違うので、ここでは触れませんでしたが、みなさんもよくご存知のように戦後は、それまでの国家体制全体がかなり全否定されてしまったにも関わらず、結果としては、なぜか戦前、戦中と多くの人々が望んでいたような、より平和で豊かな社会になったのではないかということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年8月15日 9:02 PM, 政治 / 歴史 / 軍事



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