④後世の日本人の立場としては、昭和の初期において、「もう少し良い政治決定や政治政策はなかったのか」ということに関しては、「やはり、かなり疑問が残る」としか全く言いようがないようなところがある
それから第四には、これは、ちょっと違った話になるのですが、それでは当時の日本の状況において、いったいどのような解決策があり得たのかということについて、少し考えてみたいと思うのですが、後世の日本人の立場から見て、当時の状況としては、かなり問題があるのではないかと思われるのは、以下の三つになります。
一つめは、やはり有名な真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争のことなのですが、まずは、とにもかくにも当時の日本の軍部の責任者の人達は、いったいどのような政治目的や勝算があって、そうした大戦争を始めたのかということに関しては、かなり大きな疑問です。
※太平洋戦争開戦に関する政治決定には、当時の大多数の日本人は全く参加していないので、当然、太平洋戦争の開戦に関する当時の日本人の戦争責任は全くありません。
※よく戦後、昭和天皇の偉業として、軍部の暴走を制して、ポツダム宣言を受諾して終戦に導いたこと、いわゆる「ご聖断」と呼ばれているものがあるのですが、これは何となく戦後、うやむやにされていることですが、あんな大戦争で天皇の軍隊(当時は、そういう感覚だったはずです)を動かすことは、いくら軍部の偉い人でも自分達の一存だけでは決められなかったはずなので、当然、太平洋戦争を始める際や、その前の日中戦争を始める際の昭和天皇直々の政治的決断もあったはずだ、ということは十分に理解しておくべきだと思われます(つまり当時の日本の最高政治決定者として、当時の天皇・裕仁や当時の皇族の関係者に戦争責任があったのは、当然のことであるということです。参考1、参考2)。
二つめは、中国大陸や東南アジアへの軍事的進出なのですが、確かに当時のヨーロッパやアメリカの運営する植民地事情が劣悪だったので、それに代わって日本が欧米列強を打ち破り、その開放者となるというような理念は、いっけん賞讃されるべきところもあるのですが、ただ、それに関しても、「もし明治時代の日本の軍隊の指導者がいたら、どうやっただろうか」ということを考えてみると、かなり疑問であるとしか全く言いようがないということです。
三つめは、これはあまり言われないのですが、当時の日本国内の状況に関してなのですが、当時の天皇にかなり大きな権限があった政治状況としては、海外への軍事進出よりも、国内の多くの人々の生活の改善や豊かさの実現のために、もっと何か出来なかったのだろうか、という疑問は、どうしても残ってしまいます。
細かく言うと切りがないと思うのですが、要するに日本の教育で習う歴史の話というのは、「何か話をすり替えていないか」、「何か話を誤摩化しているところがあるのではないか」ということが、かなり問題なのではないかということです。
Cecye(セスィエ)