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現在の趨勢では、近い将来、これまでの神仏の役割は、現在、発達中のコンピューターやロボットに、だんだん取って代わられる可能性が高くなってきている Part 6

 内容が、より分かりやすいように、タイトルを変更しました。

 

4、多くの人々の単純な思い込みとは、かなり違って、長い年月の間に、神仏のイメージというのは、最初、その宗教の開祖が説いたものからは、大きく逸脱した、全く違ったものになってゆきがちなのだが、その延長には、そうした神仏そのものが、現在、発達中のコンピューターやロボットに取って代わられるような、未来のシナリオもあり得るので、注意が必要である

 さて、こうしたことを踏まえると、いったい、どのようなことが言えるのか、というと、これは、見方によっては、一生懸命、宗教をやっている人には、かなりショッキングな結論になってくるのですが、要約すると、だいたい、以下のような、四つのことが言えます。

 

①宗教の神仏のイメージというのは、歳月が過ぎれば過ぎるほど、最初、その宗教の開祖が説いた神仏の説明から、大きく逸脱して、その宗教の運営者や為政者の思惑や、多くの人々の願いやニーズを、かなり濃厚に反映した形の、実質的に、全く異なる神仏のイメージに変化してゆきがちであった

 まず第一には、これは、ここまで述べてきたような説明を聞くと、ある程度、分かるのではないか、と思われるのですが、実は、たいていの宗教における神仏の実態というのは、歳月が過ぎれば過ぎるほど、最初に、その宗教の開祖が説いた神仏の話からは、どんどん枝葉がついて、離れてゆくことになりがちなので、その結果、ある程度の歳月が過ぎる頃になると、最初、その宗教の開祖が説いた神仏像からは、かなり逸脱してゆき、その宗教の運営者や為政者の思惑や、あるいは、多くの人々の願いやニーズを、かなり濃厚に反映した形の、実質的に、全く異なる神仏像に変化してゆきがちであった、ということです。

※もっと簡単に言うと、要するに、たいていの宗教の「神仏」というのは、最初、その宗教の開祖が説いた「神仏」とは、性質的にも、能力的にも、役割的にも、全く異なる、言ってみれば、「神仏の偶像」のようなものになっているケースがあるので、注意が必要である、ということです。

 

②さまざまな宗教における「神仏」の性質や能力や役割というのは、時代を隔てるにつれて、当初、その神仏が登場した頃と比べると、全く比較にならないほど、どんどん、ものすごい存在に誇大拡張され、エスカレートしてゆきがちだった

 第二には、そうすると、そうした宗教における神仏像というのは、いったい、どのようなものになってゆくのか、というと、これは、昨今のヒーロー物の映画や小説を見たり、読んだりしたことのある人なら、ある程度、分かるのではないか、と思われるような話になるのですが、たいていの場合、多くの人々が願い、必要とするような「神仏」のイメージと、その「神仏」に相当する霊的存在、というか、光の存在の実態というのは、年月が経てば経つほど、かなり大きくずれてゆきがちであった、ということなのです。

 例えば、ある歴史上の聖者には、確かに、一人や二人の病なんて、パッと直せるぐらいの霊的なパワーはあったかもしれないけれども、それが、いつの間にか、特に何の努力もしないような、何千人、何万人の病を、一瞬で直せるような、とてつもなく強力な霊的パワーを、まるで当たり前のように求められるようになる、とか、また、例えば、ある天使のような霊的存在は、確かに、死後、霊的に、かなり、ひどい状態の人でも、ある程度、時間をかければ、ほぼ確実に、天国に引き上げられるような、非常に強い精神力や霊的パワーを持っていたかもしれないけれども、それが、いつの間にか、霊界の「れ」の字も知らないような、数千万の人々を、ほぼ毎日のように、片っ端から、ありとあらゆる手段を尽くして、救済することを、まるで当たり前のように求められるようになる、などというように、はっきり言うと、当初、伝えられているような、その宗教の神仏の性格や能力や役割と比べると、だんだん時代を隔てるにつれて、数千倍どころか、数万倍、数億倍、数兆倍もの、ものすごい精神力と、霊的な能力やパワーと、それから、さまざまな複雑極まる、いろいろな役割をこなせるようにならないと、霊的な実態としては、現在、多くの人々が信じているような神仏の働きはこなせないようなところがあったのです。

 

③長い人類の歴史の中で、多くの人々が、宗教を通して、神仏に助けを求めてきたことの大半は、現代では、別に神仏にすがらなくても、地上の世界の、さまざまな分野の専門家の人々に相談したり、助けを求めたりすれば、多少、時間がかかったとしても、ほぼ解決できるような時代になってしまった

 第三には、これは、もっとややこしい事態の話になってくるのですが、前にも少し述べたように、実は、長い人類の歴史の中において、多くの人々が、宗教を通して、神仏に求めようとしてきたことの大部分、つまり、ほぼ8〜9割ぐらいのことは、もう現在の時点では、そうした神仏に求めなくても、地上の世界の、いろいろな分野で活躍している、さまざまな職業の人々に相談したり、助けを求めたりすれば、多少、解決まで、時間がかかったとしても、ほぼ解決できるような時代になってきている、ということです。

 つまり、近代に至る前に、多くの人々が、宗教を通して、神仏に求めていたこと、例えば、「大病を直したい」、という願いであれば、現代であれば、よほどの不治の病でもなければ、医者にかかれば、かなりの確率で直すことができる、とか、「今年も豊作となり、飢えることがないように」、という願いであれば、現代であれば、気象予測の発達や、土木事業による灌漑(かんがい)設備の充実や、農業の機械化や合理化や、国際関係の充実によって、もうほとんど、そうした願いは叶えられた状況になっている、とか、あるいは、「争いや貧困のない世界にしたい」、という願いであれば、現代では、国連の平和維持活動の充実や、世界各国の経済成長による豊かな社会の実現によって、もう世界の半分以上の国々では、実質的に、そうした平和で豊かな社会になりつつある、などというように、はっきり言うと、一昔前の時代に、多くの人々が、神仏に対して、本当に心の底から求め続けてきた願い事の大半というのは、近現代に入ると、段階的な形ではあるのですが、現実に、かなり叶ってしまったようなところがあるのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年7月30日 9:10 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳



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