④現在のままの趨勢であると、そう遠くない将来、一部の偉い人々の思惑や、多くの人々の願いやニーズを、より的確に、素早く、合理的に実現できるようなロボットやコンピューターに、だんだん、神仏の立場は、取って代わられるようになってゆくだろう
そうすると、第四には、これが、この文章の一番の趣旨になるのですが、それでは、結局、現在、多くの人々が、強く信じている「神仏」というのは、いったい、何なのか、ということになってくるのですが、実は、これは、冷静に考え直してみれば、誰でも、ある程度、分かるのではないか、と思われるのですが、今述べたことからも、よく分かるように、はっきり言うと、現在、多くの人々が、宗教において、信じている「神仏」の大半というのは、ほぼ確実に、最初、その宗教を興した開祖の説いた「神仏」とは、全く違う、というか、全く変わり果てた、いろいろな時代における、一部の偉い人々の思惑や、多くの人々の願いやニーズを色濃く反映した、言ってみれば、一種の幻影に過ぎないようなところがあるのです。
そうすると、これは、とても残念なお知らせになるのですが、現在の趨勢であると、もし、このままの流れが続いた場合には、おそらく、そう遠くない将来、現在の地球人類の大半は、本当の創造主の神仏である「光の存在」ではない、全く別の何かに、実質的に、宗教替えすることになるのは、ほぼ確実な未来のシナリオになってしまう、ということです。
それは、いったい、何なのか、というと、要するに、現代から近未来の時代において、このような形で、一部の偉い人々の利益や、それから、多くの人々の願いやニーズを、最も、うまく反映できるものは、いったい、何なのか、というと、それは、現在、発達中のコンピューターやロボットになってしまう、ということなのです。
それというのは、例えば、一部の偉い人々が、「これをやりたい」、と考えたことや、あるいは、多くの人々の願いやニーズが、最も素早く、最も的確に、最も合理的に叶えられているものは、現代の社会であると、コンピューターやロボットになっているからなのですが(最近だと、携帯電話やスマートフォン)、確かに、よく考えてみると、これまで地球人類が信じてきた「神仏」の実態というのも、これは、決して、すべてとは言わないのですが、多くの人々が、普通に求めても、なかなか、叶わない、得られないようなものを、いかにして、叶え、得るか、ということのための一種の代替手段だったようなところがあるのです。
実際、最近は、少し様子が変わってきているようなのですが、少し前までは、日本では、神社と言えば、ジャラーンと鐘を鳴らして、パチパチと手を叩いて、お金を投げ入れては、願い事を頼むような宗教形態になっていましたし(何となく、「神社」の建物の形をした、「願い事、何でも叶えマシン」(昔版の神仏機械?)みたいじゃないですか?)、それ以外にも、先ほど述べたように、よく考えてみると、いろいろな宗教の中の内訳には、一応、「神様」、「仏様」、と言っているけど、よく考えてみると、「神様」、「仏様」の中の人格、というか、意思というものを、一切、認めずに、一方的に、人間の側の、いろいろな願望や欲望を投影しているだけのものも多かったのではないか、ということなのです。
つまり、昔、多くの人々は、普通に、人間に求めても、叶わないもの、得られないものに関しては、たいてい、みんな、「神様」、「仏様」に求めていたものなのですが、それが、最近だと、多くの人々は、普通、人間に求めても、なかなか、叶わないものや得られないものに関しては、何でも、ネットに接続された、スマートフォンやコンピューターや、それから、ロボットに求めるようになってきている、ということなのです(例えば、CMでもおなじみなように、分からないことは、スマホに、欲しいものは、ネットに、神や女神の理想は、アニメやフィギュアに・・・、などというように?)。
※もっと簡単に言うと、現在まで、多くの地球人が信じてきた神仏というのは、よく考えてみると、言ってみれば、一種の「神仏ロボット」や「神仏コンピューター」のような存在に近かったのではないか、ということです。
Cecye(セスィエ)
2012年7月31日 9:09 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳 / 科学、テクノロジー