今年は、スポーツの世界では、オリンピックがあるので、とても盛り上がってきているのですが、今回は、私がオリンピックについて考えていることを、少しだけ述べます。
オリンピックでメダルを取ることが、たいへん素晴らしい栄誉あることであるのは確かなのだが、ただ現代のように毎年毎年のように参加者が増え、記録や技術が伸びてゆくような時代には、「たとえ、メダルを取れなかった選手であっても、上位の百名、場合によっては、数千名ぐらいの人は、一昔前の時代であれば、十分にメダルを取れるくらいの優れた能力と実力の持ち主なのだ」というような視点は持ってもよいのではないだろうか
オリンピックでは、世界中の国々を代表するような一流の選手達が、ものすごくたくさん参加して競技を行い、金、銀、銅のメダルを取ることを争うわけなのですが、ただ、みなさんもよくご存知のようにオリンピックにおいては、毎年毎年のように参加者が増え、どんどんと記録が伸び、また、さらに難しい新しい技が開発され、そして、ものすごく微妙な差で、一位、二位、三位と順位が決まってゆくようなところがあるのです。
それゆえ、確かに金、銀、銅のメダルを取った選手達は、ものすごく優秀な幸運な選手達であった、ということは十分に認めるべきなのですが、ただもし、これが十年前、二十年前、五十年前、百年前の記録や技術と比べたら、どうなのかというと、私は素朴に思うのですが、多分、種目によっては、上位のもう百人ぐらい、場合によっては、オリンピックに出れなかった人も含めて、上位のもう数千人ぐらいの人は、一昔前の時代なら、立派にオリンピックで金、銀、銅メダルを取れるくらいの記録と実力の持ち主だったのではないか、というように思うのです。
ですから確かにオリンピックともなれば、国中、世界中で自分の国の選手達や、自分の好きな選手達を応援して、彼らがメダルを取ることを多くの人々が心の底から望むことまでは、よく理解できるのですが、ただ、もしオリンピックでメダルを取れなかったとしても、そうした形でオリンピックに出た人や、あるいは出れなかった人の中には、昔の時代で言えば、もう十分に金メダルどころか、もうそれ以上の記録や技術を示せるくらいのものすごい才能や実力を持ち、また、それだけのものすごい真剣な努力をしてきた人々も大勢いるのだ、というような視点だけは、私は、しっかり持っていないといけないのではないかと思います。
つまり、オリンピックにおいて、金、銀、銅メダルをとった選手達は、最高に祝福され、讃えられるべき名選手達であるということは、確かに事実なのですが、ただ本当は、それ以外の選手達も、彼らとほとんど同じくらい、ものすごく才能や実力があり、また心の底から頑張り抜いた名選手達なのだ、ということはしっかり理解して、多くの人々の間で、その努力と栄誉を認め、讃えてあげるべきなのではないか、というように私は考えております。
Cecye(セスィエ)