2、よく宗教や道徳では、かなりきっちりとした明確な「善悪二元論」が説かれることが多いのだが、現実の世の中では、何を基準に定めるかによって、その良し悪しが、かなり大きく変動してしまうものや、もっと単純に、いろいろな多様性のあり方や、幅広い物の見方を、素直に受け入れればよいものも、たくさんあるようなところがある
次には、「常に、物事には、対極的な二つの要素がある」、とか、「常に物事は、二つに分けることができる」、というような「二元論」の考え方についての話になるのですが、これは、人により、また、立場により、いろいろな見方があるので、そう簡単には、一概に言えないようなところがあるのですが、大まかに言って、こうした二元論的な物の見方については、次のような七つのことが言えるのではないか、と思われます。
①わりと単純な仕事に関しては、「これは良いが、これはダメである」、というような二元論的な物の見方は、サービス精神や創意工夫や改善の観点を除けば、最も適切であると言える
まずは、身近なことから考えてゆきたいのですが、まず第一には、単純再生産の、わりと簡単な仕事については、単純な二元論的な物の見方が、わりと合っているのではないか、ということになります。
この場合は、評価の仕方が、ものすごく単純で、何らかの仕事のやり方を覚えたら、後は、それを最も間違いが少なく、また、最も早く、最もきれいに、最も評価のポイントを押さえて、できた人が、最も優秀で、その反対に、それが、できない人、つまり、間違いが多く、仕事が遅く、汚く、評価のポイントが、全然、できていない人が、一番、ダメ、ということになるので、こうした単純再生産型の、わりと簡単な仕事の場合には、今述べたような、「これはいい、これはダメ」、というような、単純な二元論的な考え方が、非常に合っていることになります。
ただ、これは、一般論としては、合っていても、みなさんも、よくご存知のように、どんな仕事であっても、常に、顧客のニーズをよく考えて、相手の立場に立った、サービス精神を持つことや、また、常に創意工夫を加えたり、改善を繰り返すことによって、時が過ぎるうちに、全く別次元の高度な仕事に進化してゆくこともよくあることなので、それゆえ、そうしたサービス精神や、創意工夫や改善といった観点については、こうした単純な二元論は、全く合わない、ということになります。
それから、こうした仕事の世界では、たとえ、その仕事の内容として、「これが出来れば、OK、これが出来なければ、ダメ」、というような基準が、はっきり決まっていたとしても、その次のレベルの仕事、また、その次のレベルの仕事・・・、と進むうちに、また、別の基準で、そうした良し悪しが決められてゆくようなところがあるので、もっと正確に言うと、「段階的な二元論」のような物の見方になるのではないか、ということです。
②普通の市民生活をする上で必要な、教育上の基本的なカリキュラムの内容に関しては、「これは出来るようになった」、「これは、まだ出来るようになっていない」、というような、単純な二元論的な評価で構わない部分も多いのだが、ただ、それぞれの個人の個性や才能や創造性を重視する姿勢は、それと同じくらい、とても大切なことであると言える
第二には、これは、今述べたような仕事とほとんど同じ、学校の基本的なカリキュラムについての話になるのですが、要するに、学校のカリキュラムにおいて、「もうこれだけは、どうしても覚えておかないといけない」、とか、「これだけは、卒業までに、しっかり出来るようになっていないといけない」、というような内容に関しては、今述べたような、わりと単純な仕事のあり方とほとんど同じように、単純に、「どれだけ理解できているか」、とか、「どれだけ覚えているか」、とか、「どれだけ出来るようになったか」、というような単純な二元論的な基準で、教師の側も、また、学生や生徒の側も、それぞれの学習課題について、その出来不出来を判定し、評価するしかないのではないか、ということです(これも、「段階的な二元論」的な物の見方になる、と思われます)。
ただ、これまでにも何度も述べてきているように、それぞれの個人の個性や才能や創造性を認めて、伸ばしてゆくのは、それと同じくらい、とても大切である、というような観点は、絶対に忘れてはいけないのではないか、と思われます。
Cecye(セスィエ)
2012年6月2日 9:05 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 宗教、道徳 / 成功論、繁栄論 / 教育