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「陰陽説」について Part 9

②「この宇宙は、ただ一人の神が創造した」、というような、宗教やスピリチュアリズムにおける「一元論」は、確かに、半分ぐらいは合っていると言えるが、「反創造主」を中心とする闇の勢力の活動もあったので、もう半分ぐらいは、全然、合っていないとも言えるようなところがある

 第二には、よく宗教やスピリチュアルの分野では、「この宇宙は、すべて、ただ一人の神が創られた」、とか、「この宇宙は、すべて、ただ一つの存在によって、成立している」、とか、「この宇宙は、すべて、ただ一人の神仏のような存在の思い描いたものが現実化した、単なる映し鏡のような世界に過ぎない」、とか、さらには、「この宇宙は、すべて、神の意志の通りに、常に完全な状態になっている」、というような、いわゆる、宗教やスピリチュアルな観点から見た「一元論」のような考え方があるのですが、ただ、霊的には、これは、半分くらいは合っているけれども、残りの半分ぐらいは、全然、合っていない、ということが言えます。

 これは、前にも別の箇所で、説明しているので、あまり深く立ち入らないのですが、要するに、「光の勢力」と「闇の勢力」の闘争の歴史の説明にも、よく表されているように、この宇宙というのは、すべてがすべて、ただ一人の創造主のような存在によって、創られたものなのか、というと、実際には、そうではなくて、この宇宙においては、そうした、ただ一人の創造主の理想が、わりと、そのままの形で、かなり完全に実現できているような部分もあるけれども、そうではなく、そうした創造主の反存在のような、「反創造主」、もしくは、「反キリスト」のような存在によって、そうした本当の創造主の意図とは、全く正反対の状況になっているようなところも、実際には、かなり多かった、ということなのです。

 ですから、「この宇宙は、ただ一人の創造主が、すべて創ったものである」、とか、「現在の世界は、この宇宙の創造主の意思の通りに、完全になっている」、と言うのであれば、それは、完全に間違いで、そうした創造主の意図の通りになっているところもあれば、その反対に、そうした創造主の意図とは、全く正反対の意思を持つ「反創造主」、もしくは、「反キリスト」のような存在によって、はっきり言うと、かなりの悪意に基づいて、ひどい状況になっているような現実というのも、多々あった、というのが、実際のところなのではないか、ということです。

 

③その時点における、ありとあらゆる宗教や道徳や霊的思想の良いところを、すべて統合するような形の、一元論的なスタイルの宗教や国家教が登場してきた場合には、「結局、何を中心の神仏に据えるのか」、ということにだけは、十分に注意しないといけないようなところがある

 それから、第三には、これは、あまり考えたことがない人が多いのではないか、と思われる話になるのですが、実は、一元論的な発想でもって、「何でも源は、一つ」、とか、「何でも真実は、一つ」、などと考えていると、実際には、時々、とんでもない洗脳型の宗教の被害に遭う危険性がある、ということです。

 それというのは、これは、大変、残念な指摘になるのですが、こうした形で、「すべては、一つに通じる」、とか、「すべては、一つに統合できる」、というようなキャッチフレーズを使いながら、その時点における、あらゆる宗教や道徳や、霊的な思想を統合するようなスタンスで、信仰を立ち上げてゆくと、どんな人がやっても、後に、そこそこ大きなバックがあって、いろいろとお膳立てしてくれたり、資金や人員面での援助をしてもらえるような場合には、わりと簡単に、多くの人々が、そこそこ納得できるような、ワールドワイド型の宗教ですら、作り上げることができるからです。

 実際、人類の歴史を見ると、そうした形で、こうした一元論的なスタイルでもって、「○○宗」、とか、「○○国教」のようなものが登場したことは、何度も何度もあったのですが、ただ、こうした一元論に基づく、統合型の宗教の場合には、根本的な大問題があって、実は、そのような形で、統合的なスタイルを打ち出しておいて、その上で、「いったい、何を根本の神仏に据えるか」、という段階で、結局、本当の、この宇宙の創造主ではなく、それと似て非なる偽創造主のような存在であるとか、あるいは、その国の為政者のような人物を、そうした中心のポジションに据えて、実質的に、多くの人々を騙すようなスタイルの、こうした一元論的宗教や国家教のようなものが、これまでの人類の歴史では、非常に多かった(もちろん、すべてが悪いわけではないのですが)、ということなのです。

 ですから、こうした一元論的なスタイルの宗教や国家教のようなものがある場合には、「確かに、それで、いっけん、全く異なる、たくさんの宗教や道徳や霊的思想を統合できるのは、分かるのだけれど、結局、いったい、何を根本の神仏に据える?」、ということに関しては、かなり用心深く、慎重な態度をとらないと、後々、結構、ごちゃごちゃと、めちゃくちゃな状況になることがあるので、非常に厳重な注意が必要なのではないか、ということです。

 このように、一元論的な物の見方に関しては、だいたい、以上のような三つのことが言えます。

 

 続く・・・

 

 

Cecye(セスィエ)

2012年6月1日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 宗教、道徳



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