Light Symbol

「陰陽説」について Part 7

 第三には、これは、あまり聞いたことのない話になるのではないか、と思われる内容になるのですが、実は、「陰」と「陽」というように、あらゆる物事を、極めて、対極的な二つの要素に分けてゆくような思想というのは、見方を変えると、一種の「無」崇拝、というか、「空」、もしくは、「空っぽ」崇拝のようなものになっている、というような、まだ、現在の多くの人々が、ほとんど理解したことも、考えたこともないような、不思議な論理が成り立つことようなところがあるのです。

 

基本的な物の見方としては、「すべては一つ」、というような「一元論」的な物の見方と、「何でも極端な二つの要素に分けられる」、というような「二元論」的な物の見方と、「中庸(中道)説」のように、「極端を避け、最良の『中』をとる」、とか、「たくさんの要素の中から、最良のものを選ぶ」、というような「多元論」的な物の見方の三つがある

 これも理解が、とても難しいと思うので、もう少し分かりやすく説明したいと思うのですが、要するに、基本的には、どんな物事であっても、「その根本は、一つ」、とか、「その中心は、一つ」、と考えるような、「一元論」的な物の見方と、それから、今述べたような形で、そうした一つの物事のうち、特に極端な部分に当たる一方の極と、もう一方の極の、二つの部分があることを強調して、「常に、物事には、二つの極がある」、とか、「常に物事は、二つの要素に分割される」、というような、「二元論」的な物の見方と、それから、さらに、それ以上の何らかの要素を加えることによって、そうした極端な二つの要素の間に、ちょうど中くらいの、理想的、あるいは、最良と思われる要素を加えて、そうした、「極端を排して、その中間ぐらいの『中』の部分をとる」、というような、「中庸(中道)説」的な考え方や、あるいは、もっと単純に、いろいろな要素を、もう少し、並列的に比較して、単純な二分割説ではなく、「たいていの物事には、三つも、四つも、五つも、あるいは、もっと、たくさんの何らかの要素があるものなので、その時々の状況や条件によって、最も適切な一つを選べばよい」、というような、「多元論」的な物の見方の、大きく三種類ぐらいの物の見方があるのではないか、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年5月30日 9:03 PM, おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳



«

»

おすすめ記事

過去の記事