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昔の日本の神話について Part 9

11、日本の神道の死後の世界観では、「みんな一緒に先祖の所に行く」とか、「神社や物や墓のような所にずっと留まり続ける」というような話が多かったために、実際、死後、多くの人々が、五次元以上の光の世界に行けずに、それより下の幽界に長く留まることになったり、そこから再び、無数の迷いの輪廻に陥ることが非常に多かった

 次には、昔の日本の神話における死後の世界の様子、いわゆる霊界観について述べてみたいと思うのですが、これは正直な話で、たいへん申し訳ないのですが、よくよく冷静に昔の日本の神話に出てくる、あの世の話、つまり死後の世界、というか、霊界の様子を見てみると、その人の生前の行為によって、神仏がいる、ものすごくハッピーな世界に行けるというような「天国(極楽)」の描写や、あるいは、その反対にとんでもない苦しみだらけの「地獄」に行くことになるというような話はほとんどなくて、どちらかと言うと、「何となく薄暗い、それまで先に亡くなった人達が大勢いる黄泉の国に行く」とか、「神社や大きな岩や木や墓のようなものの中に入って、多くの人々を陰ながら、ずっと見守り続ける」というような感覚の死後の世界の描写が、非常に多いようなのです。

 こうした死後の世界における「天国」と「地獄」や、それ以外の「幽界」と呼ばれる地上の世界の延長線上のような死後の世界の話は、世界的な大宗教だと、たいてい死後の裁きや最後の審判の話で、時々触れられていることがあるので、世界的には、わりとメジャーな死後の世界の描写、というか、霊界観なのではないか、と私は思うのですが、これが日本の場合だと、「何となく薄暗い洞窟のような世界に、とにかく大勢の先祖がまとまって生活している」とか、「亡くなった後の魂達は、この世の神社や岩や木や墓のような所にずっと留まって、地上の世界の人々の暮らしを見守り続けている」というような話が非常に多いのです。

 つまり、はっきり言うと、日本の伝統的な死後の世界観、というか、霊界観というのは、「死んだ後は、どこか薄暗い世界にずっといることになる」とか、「地上の世界の何らかの物の中に入って、ずっと過ごさなくてはならない」というような話が非常に多いのですが、これはもっとはっきり言うと、多くの人々の平均的な死後の世界観というのは、「死んだら、どこかに入る」というか、「閉じ込められたが最後、その中から永遠にずっと出てこれなくなる」というような世界観だったのではないか、ということなのです(これと似たり寄ったりの死後の世界観を持っているような国々は、他にもたくさんありますが・・・)。

 ですから、そうした古代や中世の日本の伝統的な神道の世界に、外国から仏教のような、当時としては、最新の宗教が伝えられてくると、そうした伝統的な宗教観で満足できるような一部の人々を除いて、多くの人々は、「地上の生活だけでも重労働や戦乱や疫病や重税などで、とても大変なのに、その上、死後の世界まで、どこか真っ暗な世界に閉じ込められて、出てこれなくなるような生活なんて、まっぴらご免だ」とばかりに伝統的な神道から、当時最新の宗教であった仏教にだんだん乗り替えていったのですが、ここで一つ問題なのは、そうした昔の日本において、多くの人々が、先祖を敬(うやま)ってくれなくなるのは、現実にかなり深刻な社会問題を引き起こす可能性があったのです。

 その理由は単純なのですが、そうした昔の現代のような社会保障のない時代において、小さい頃から一生懸命働いていた人々が、いざ年をとって、誰かの世話にならないと、とてもではないが、もう生きてゆくことができないような年齢になった時に、そうした先祖崇拝型の宗教であると、わりと単純に「先祖が大事なのだから、親もその親も当然、大事にしなくてはならない」などというように、今日的な目で見ると、「子供がしっかりと責任を持って、親の老後の世話をする」とか、「毎年同じような農業生産ができるような村の状態を、できるだけ、そのまま維持してゆく」とか、「偉い殿様や貴族や村長(むらおさ)の言う通りに多くの人々が、パッと何でも言うことを聞くような社会体制を維持してゆく」というような点で、個人個人の自由や責任が、そこそこしっかりと独立しているような、そうした仏教のような最新の宗教のスタイルよりも、わりと個人個人の自由や責任が不明確で、「とにかく、みんな同じ氏神(うじがみ)や先祖の下で、同じような共同生活をし続けることが大事である」というような、いわゆる先祖崇拝型の宗教の方が、そうした社会を維持し続けてゆくには、その社会全体として、とても便利なところがあったということなのです。

 つまり一人一人の個人としては、「できれば、この世の人生のみならず、来世の人生でも幸せになりたい」というような欲求は、非常に強かったはずなのですが、それと同時にそうした社会全体の仕組みの維持のためには、どうしても単なる道徳教育というよりも、はっきり言うと道理として、よく考えてゆくと、ちょっと訳の分からないようなところがある村や国の共同責任(もっとはっきり言うと、なし崩し的無責任体制?)が貫かれているような先祖崇拝型の宗教の方が、非常に都合がいいようなところがあったのです。

 それゆえ、その後の日本の宗教の流れとしては、「この世の人生のみならず、来世の人生でも、できるだけ幸福に過ごしたい」というような欲求の充足のために神道であっても、仏教的な信仰や教えや来世観は大々的に取り入れるけれども、それとは、いっけん相反する村や国の共同作業や共同責任の大切さを力説する先祖崇拝型の神道も、それなりに維持するような、言わば、宗教としての折衷(せっちゅう)案のような宗教形態にだんだん落ち着くようになっていったのではないか、ということなのです。

※この辺りの事情は、昔の中国や朝鮮の儒教と仏教の関係においても、ほとんど同じような状況だったのではないか、と思われます。

※念のために書いておきますが、これは当時の仏教が、あらゆる意味で最高だったというような意味では、決してありません。仏教には仏教で、いろいろ問題はあるのですが、当時の神道と比較すると、そうした特徴があったということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年4月10日 9:06 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 仏教 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 歴史 / 社会、文化 / 神道



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