今回も、前回の「キリスト意識」についての話の続きになります。
2、霊的宇宙的に見た場合、この宇宙の唯一にして、至高の「光の創造主」と「キリスト意識」は、基本的に全く同一の存在なのだが、地上の世界では、それがあたかも、まるで全く別々のたくさんの神仏がいるかのように誤解されることが、とても多かった
それでは、この宇宙の創造主と、キリスト意識は、いったいどのような関係にあるのかというと、大体、以下のような三つのことが言えます。
①霊的宇宙的に見た場合、この宇宙の唯一にして、至高の「光の創造主」と、「キリスト意識」と呼ばれる存在は、基本的に全く同一の存在である
まず第一には、この宇宙の「創造主」と言った場合には、たいてい、この地球ばかりでなく、この宇宙すべてを創った神のような存在を表す意味になるのですが、「キリスト意識」と言った場合には、最初に述べたように、この宇宙すべての生きとし生けるものを愛し、慈しみ、育む、無限の愛の存在のようなニュアンスになります。
それでは、この二者は違う存在なのか、というと、そんなことはなくて、言ってみれば、本当は同じ一つの存在のことを、創造的な側面を重視して見るか、それとも愛や慈悲の側面を重視して見るか、という程度の、せいぜい解釈の違いぐらいしかないのではないか、ということです。
ですから実は、霊的宇宙的に見た場合、本当は、この宇宙の唯一にして、至高の「光の創造主」と「キリスト意識」というのは、基本的に同じ存在であると考えて、全く差し支えないということなのです。
②高次元宇宙では、一つの存在であると認識されているものが、低次元宇宙では、たくさんのバラバラの存在であるかのように誤って認識されることが多いので、たいていの地球上の宗教では、この宇宙の「創造主」と「キリスト」は、全く別の名前や個性の存在として、扱われていることが多い
第二には、ところが、これは今述べたことを、ほぼ全面否定するような話になってくるのですが、実は、現在の地球のような低次元の宇宙領域では、たいてい高次元宇宙では、一つの存在であると考えられているものが、二つ、三つ、四つ・・・と全く別の存在のように認識されていることが非常に多いので、その結果、現在の地球の宗教においては、たいてい、この宇宙の「創造主」に当たる存在と、今述べているような「キリスト意識」と呼ばれる存在は、全く別の名前や個性の、全く別の存在として考えられていることが非常に多いようです。
例をあげると、例えば、キリスト教だと「父なる神」と「キリスト」の関係であるとか、あるいは、仏教だと、この宇宙の光の仏である「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」(大日如来)と、「阿弥陀(あみだ)仏」の関係などに、その典型的な違いが見られるのですが、要するに、これまでの地球上の宗教であると、たいてい、この宇宙の「創造主」に当たる存在と、愛や慈悲の存在である「キリスト意識」は、全く別の名前や個性の存在として考えられていることが、非常に多かったということなのです。
Cecye(セスィエ)
2012年4月27日 9:01 PM, キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 仏教 / 宗教、道徳