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Q&A アセンションを、より良い形で進めるためには、いったい、何が必要なのか? Part 4

4、どの国や社会にも、多くの人々が、なぜか、全く調べようとも、変えようともしない「聖域」と呼ばれる部分があるものなのだが、そうした聖域の少なさは、即、そこに住む人々の幸福性の高さを表すものなので、できるだけ多くの人々の間で、密接な協力関係を作って、そうした国や社会の中の「聖域」への調査や改善を進めるべきである

 第四には、これは、多くの人々が、まだ、あまりはっきりと言っていない内容になるのではないか、と思われるのですが、現代の地球の社会というのは、とにかく、いろいろな意味で、「これは、自由に話してもいいけれども、これだけは、絶対に言ってはいけない」、とか、「これに関しては、自由に調査しても、その結果を自由に発表してもよいけれども、これに関しては、誰も自由に調査してもいけないし、また、その結果を自由に発表してもいけない」、とか、「この内容に関しては、いくらでも自由に改善したり、変更したりしてよいけれども、この内容に関しては、絶対に自由に改善も変更もしてはいけない」、などというように、多くの人々が、自由に発言していい内容と、そうでない内容とか、あるいは、自由に調査して、発表してよい内容と、そうでない内容とか、あるいは、自由に変更や改良を加えてもよい内容と、そうでない内容という具合に、現在のその国や社会のあり方や、政治や経済や文化のあり方などが、これは、どの人も、あまりはっきりと口に出すことは少ないようなのですが、どこの国の、どの社会でも、結構、細かく決まっているようなところがある、ということなのです。

 つまり、古い言葉で言うと、政治や経済や文化の中には、いわゆる、「聖域」と呼ばれるものが、どこの国や社会にもある、ということを、これは説明しているのですが、実は、こうした多くの人々が、あまり触れてはいけない、とか、あるいは、何となく、絶対に触れないように生活している、「聖域」と呼ばれる部分が、少ない国や社会であればあるほど、客観的に見ると、幸せな表情で生活している人々が多くて、その反対に、そうした「聖域」と呼ばれる部分が多い国や社会であればあるほど、客観的に見ると、あまり幸せそうでない、つまり、不幸な表情で生活している人々が多い、というような社会の原則があるようなのです。

 それゆえ、私は、そうした、その国や社会にあって、多くの人々が、意識的、あるいは、無意識的に、何となく触れようとしない、あるいは、絶対に変えようともしなければ、それどころか、なるべく知ろうともしないようにしている「聖域」と呼ばれる部分が、いったい、どれくらい少ないのか、というのが、はっきり言うと、その国や社会の健全性、もしくは、幸福性の高さを表しているのではないか、というように感じているのですが、それは、ともかくとして、ここで言いたいのは、もし、このブロブで述べているような、「闇の勢力」と呼ばれる一群の人々が、その国や社会において、影で強い影響力を持っているようなら、そうした、その国や社会の中の「聖域」と呼ばれる部分が、非常に多くなってくるし、また、その反対に、彼らの影響力が、その国や社会において、非常に弱いのであれば、その国や社会の中の「聖域」と呼ばれる部分が、非常に少なくなってくる、というような相関関係がある、ということなのです。

 そうした点から考えてゆくと、いったい、何が言えるのか、というと、要するに、政治や経済や文化といった、その国や地域の社会システムの中で、なぜか、多くの人々が、「全く触れようとしない」、とか、「全く変えようとしない」、とか、あるいは、「なぜか、そうした内容に触れることすら、無意識のうちに避けようとする」、というような、そうした「聖域」のような部分がある場合には、一度、できるだけ多くの人々の間で、密接な協力関係を作って、「そうした聖域と呼ばれる所の中は、いったい、どうなっているのか」、とか、「そこでは、いったい、何が行われているのか」、とか、「いったい、なんで、何の変更も改良もされずに、何年、何十年、あるいは、何百年と、そのまま放置されているのか」、とか、「もし、今すぐ、それを、多くの人々が、最も幸福になるような形で、改良、変更するなら、いったい、どうすればよいのか」、ということなどを、一度、よくよく調べ直し、考え直し、検討し直してみるような機会を持つことが、とても大切なのではないか、というように感じております。

 

 2012年の時点において、個人や地球全体のアセンションというものを、より良い形で進めるためには、大まかに言うと、大体、以上のような四つのことが言えると思います。

 

 

 追伸

 このブログを、長く読まれている方は、よくご存知のように、時々、いろいろな所から霊的に邪魔されて、このブログは、何となく読みづらくなる時があると思うのですが、最近も、結構、いろいろと邪魔が多いので、少し読みづらいかもしれないのですが、もう少ししたら、良くなると思いますので、ちょっとお待ちください。

 前にも細かく書いたのですが、日本の場合、国家主導の学校や試験は、一種の変な宗教みたいな役割を果たしているところがあるので、ちょうど、今頃の辺りの時期は、あちこちで試験があって、多くの人々が(つまり、子供も親も)、いろいろと影響を受けやすいようです。

 

 私は、全国統一の試験なんて、今時、予備校でも、ほとんど同レベルのそっくりの試験が、いくらでも作れるような時代なので、一年に一回なんて、ケチなこと言わないで、最低でも、年に4回とか、できれば、毎月とか、幾らでも、好きな時に受けられるようにすれば、その方が、ずっと良いのではないか、と思っています(よく考えてみれば、単なる学力テストの一種に過ぎないのですから・・・)。

 最近も、試験運営で、大きな問題があったようですが、年に一回しかやらない、厳しい試験で、運営者側の大きなミスは、一人前の大人の仕事としては、絶対に許されないことなので、あんなことなら、私は、一定の基準をクリアーしていれば、試験の運営も、予備校に代わってもらった方が、よほど良いのではないか、と思うくらいです。

 第一、もう子供より、学校の募集の方が多いくらいなので、そもそも、一昔前みたいに、学校の側が、試験で、学生を選ぶ時代じゃなくて、学生や親の方が、学校を選ぶ時代に移り変わっているのに、いつまでも、学校の権威を守るために、いっけん、難しい試験を中心に、学生の良し悪しを振り分けようとすること自体が、間違っているのかもしれません。

 それと、特に日本の大学教育の場合、もっと実学的な要素を強くしないと、最近の就職率の低さが示すように、ちょっと、学生や親の努力や負担の割には、かなり割高な感覚を覚えますね。

 

Cecye(セスィエ)

2012年1月22日 9:14 PM, Q&A  / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 現在のアセンションの状況



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