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多くの人々の日頃の言動の様子を、冷静に見てみる限り、株や不動産の投資(購入)や、保険の契約と、宗教選びは、根本的なところでは、あまり変わらないような要素がある Part 2

多くの人々は、株や不動産の投資や購入や、保険の契約と、宗教の話は、全然、別のこととして、考えようとすることが多いが、実際には、宗教のことであっても、これまでの投資(努力)を無駄にしたくないとか、他の宗教との良し悪し上の損得であるとか、この世的な楽しさといった、結構、現世的な理由でやめないことが多い、というのが、現実の実態なのではないか

 ところが、多くの人々は、自分の生活に身近な、株や不動産の投資や購入や、保険の契約ともなると、昨今のCMでも、よくお馴染みのように、結構、かなり真剣に吟味しているにも関わらず、いざ宗教のこととなると、「それと、これとは、全然、別の話」、とばかりに、完全に思考が止まってしまい、全然、何も考えもしなくなってしまうことが多いようなのです。

 それは、なぜなのか、というと、これは、普通、信仰深い人に言うと、かなり真剣に怒られることになるような内容になるはずなのですが、どうも、私の見るところ、多くの人々が、自分の信じている宗教に対して、あまり真剣に考え直そうとしない根本的な理由というのは、宗教上の理由、とか、霊的な理由なんてことは、ほとんどなくて、何のことはない、「これまで、何十年も、一生懸命、信仰し続けてきたのに、ここで止めたら、自分は、何だか、馬鹿みたい」、とか、「今、自分が信じている宗教だけは、絶対、特別なはずだし、普段から、何度も、他の宗教は、インチキの悪魔の教えだと聞いているから、絶対、止めるもんか」、とか、「普段の生活と違って、宗教の集まりに行くと、みんな、ものすごい親切に、いろいろ話しかけてきてくれたり、ものすごい人間的な連帯感を感じることができるので、そこからは、絶対に抜け出したくない」、などというような、はっきり言うと、かなり人間的、というか、世俗的な理由であることが、非常に多い、ということなのです。

 それでは、そうした自分の信じている宗教についての考え方は、本当に合っているのか、というと、これが、よく考えてみると、それほど正当性のある内容でもなくて、たいてい、そうした、何らかの宗教を止めた経験のある人に聞くと、「その宗教に入っているうちは、絶対に、その宗教だけが、正しいと信じていたけど、いざ、やめてから、いろいろな宗教を、冷静に調べ直してみると、何のことはない、どの宗教も、自分の宗教が一番で、他の宗教は、今一の悪魔みたいなことを言っていて、それほど、中身的に違うものではなかった」、とか、「やっている間は、ここで止めると損、とか、止めると、魔にやられるなどと、強く信じ込んでいたけど、いざ、やめてみたら、なんで、もっと早く止めなかったのか、とか、あんなにボランティアや寄付ばかりして、何だか、馬鹿みたいだったなどと思う人が、ほとんどである」、とか、「確かに、宗教の集会というのは、独特の熱気、とか、連帯感があるものなのだが、いざ抜けてみると、もっと社会の役に立ち、自分自身も心から楽しむことのできるような、ボランティアの集まりや、趣味のサークルなんて、本当は、いくらでもあった」、などという具合に、結構、多くの人々が、後になってみると、後悔していることが多い、というのが、そうした宗教の実態になっているのではないか、ということなのです。

 それから、こうした内容は、実は、政治活動に関しても、多かれ少なかれ、当たっているところがある、ということなのですが、それというのは、例えば、これが、政治の場合には、将来のリスクが、不況になったり、生活が悪くなることで、将来のリターンが、景気が良くなったり、生活が良くなることで、そのための掛け金になっているのが、政治家や政党の支持や寄付金になっているのですが、みなさんも、よくご存知のように、こうして、かなり信頼できそうな政治家や政党に賭けてみたとしても、実際に、当たることもあれば、外れることもある、などというように、うまく行くこともあれば、うまく行かないこともある、というのが、現実である、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年10月18日 9:14 PM, コラム / 人生観、世界観 / 社会、文化



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