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カルマについて Part 1

 今回は、カルマについて、考えてみたいと思います。

 

 よく東洋の宗教だと、「過去の人生で犯した間違いは、次の人生で償わなくてはならない」、とか、「今回の人生で果たせなかった課題は、次の人生に持ち越されることになる」、とか、「過去の人生で、ある人と人間関係上の問題を起こした場合には、次の人生で、再び同じ人と出会って、同じような人間関係上の問題と向き合わなくてはならなくなる」、というような、いわゆる、「カルマの法則」というものが説かれることが多いのですが、現在、アセンションを前にして、こうしたカルマの法則については、いったい、どのようなことが言えるのか、というと、大体、以下のような五つの内容になります。

 

1、人間や生物に無数の生まれ変わりがあるにも関わらず、多くの人々が、この世に生まれた時点では、過去生のことを何も覚えていない、というのでは、いくら熱心に「カルマの法則」を信じて、宗教修行に励んだとしても、理屈的には、カルマの帳尻を完璧に合わせて、救われることは、まずは絶対に不可能なのではないか

 まず第一には、これは、こうしたスピリチュアルなことに関心のある方には、かなり不思議に感じられるような指摘なのではないか、と私は思うのですが、実は、こうした形で人間が、何十回、何百回と、次々とたくさん生まれ変わる、というような無数の生まれ変わりが起きている、というような前提において、そうしたカルマの法則があった場合には、これは、どう考えてみても、現在の地球のように、原則、赤ん坊として生まれてきた段階では、前世のことを何も覚えていない、というような状況においては、まずは、どんなに霊的に立派な人が、何回、何十回生まれ変わったとしても、そうしたカルマの帳尻を完璧に合わせることは、まずは絶対に不可能である、ということです。

 ですから、これは、仏教やヒンドゥー教のような人間や生物の生まれ変わりを深く信じるような宗教に属する人々にとっては、まことに意外な話なのではないか、ということは、私もよくよく理解しているのですが、ただ残念ながら、もし、そうした人間や生物の無数の生まれ変わりがあり、その上、カルマの法則があり、さらにその上、多くの人々が生まれてきた時点において、前世のことを何も覚えていない、というような状況に置かれている場合には、原則、そうしたカルマの法則をいくら熱心に信じて、宗教修行に励んだところで、まずは絶対に救われることは、理屈的に見て、ほぼ完全に不可能なのではないか、ということです。

 

2、霊的に見ても、この世的に見ても、完璧なカルマの解消なんて、結局、不可能なので、それよりかは、多くの人々や生き物達が、できるだけ、いろいろな方法で、お互いにコミュニケーションし合うことによって、より仲の良い、より親しい人間や生物同士の関係が築けるようになってゆけば、それで十分なのではないか

 第二には、これは、喩(たと)え話になるのですが、もし、ここに過去に、ものすごい仲違いをした二人の人物がいるとして、そうした二人の人物が、昔の不幸な出来事を、まるで昨日のことのようによく覚えている状況で、何とか再び仲直りしようとするケースと、もう一つは、いろいろな経緯で、その後、数十年も月日が流れてゆき、そうした昔の不幸な出来事なんて、その後のいろいろな経験によって、ある程度、「もう、どうでもいいや」、と心の底から思えるようになった頃に、再び出会って、仲直りしようとするケースでは、いったい、どちらが良い結果をもたらすのか、ということを考え直してみると分かりやすいのですが、実は、こうした二つのケースの場合、昔の記憶が、もう昨日のことのように鮮明に思い出せるような状況ではなくて、そうではなく、その後、数年数十年と、いろいろな経験を積み重ねた後に、「もう、そんなこと、どうでもいいや」、と思えるようになった頃に、再度、仲直りのための努力をし始めた方が、ずっと良い結果を出しやすい、ということなのです。

 それゆえ、これは、まことにドライな考え方で申し訳ないのですが、私は、霊的に見ても、この世的に見ても、あまり強くカルマの法則を信じて、「過去生にあの人とは、いろいろあったはずだから、もう見るだけで嫌気が刺す」、とか、「あの人とは、今世こそ、心の底から仲良くならなくてはならないんだ」、とか、「この人とは、過去生で仲良しだったので、すぐに仲良くなれたけれど、あの人とは、過去生で犬猿の仲だったので、いつまで経っても仲良くなれない」、などと深く考えたりせずに、基本的には、普通のまっさらな人間関係の延長として、「この人とは、まあ、こんな感じで付き合えばいいか」、とか、「あの人とは、何となく気が合いそうなので、もう少し積極的に付き合ってみるか」、とか、「この人、苦手だと思ったんだけど、よく話を聞いてみると、意外と楽しいのね」、などという具合に、基本的には、過去生とか、カルマなどとあまり深く考えずに、わりとフラットな態度で、いろいろな人々と適度な距離を保ちながら、付き合っていた方が、人生というのは、ずっとずっと楽しく過ごせるのではないか、というように感じています。

 それと細かい話は割愛して、これは、おそらく、そう遠くない将来、アセンション後の世界では、多くの人々が、心の底から感じるようになるはずの感想であるのですが、「本当は、カルマの解消なんて深く考えなくてもよくて、何のことはない、みんな心の底から仲の良い幸せな関係を築ければ、それで良かったんだ」、とか、「あの二元性の時代は、みんなカルマの問題で、ものすごく苦しんだが、アセンションした後には、もうカルマなんて、何のことだったのか、よく分からなくなってきた」、などという具合に、結局、霊的に見ても、この世的に見ても、宗教的な努力によるカルマの完全な解消というのは、全く不可能なので、結論としては、とにもかくにも多くの人々が、いろいろな機会にいろいろな方法で交流し合うことによって、多くの人々が、心の底から、お互いに仲良く親しく過ごせるようになってゆけば、それで十分なのではないか、というような結論にたどりつく可能性が、現在、非常に高くなってきている、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年8月25日 9:24 PM, おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観



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