現在、世界中で当たり前のように行われている「自由貿易」も、一国だけの視点を離れて、世界の経済全体の目で見れば、常に誰かの損や借金は、誰かの得や資産になっているので、世界の経済全体が活性化すれば、自然と世界中の人々が、みんな豊かになってゆく、というような「ゼロレス、マイナスレスの経済政策」であった
次には、「自由貿易」について述べてみたいと思うのですが、自由貿易というのは、みなさんもよくご存知の、基本的にどこの国からも自由に輸入してよいし、また、どこに国に自由に輸出してよい、というような経済政策のことであるのですが、これも、いっけんすると、例えば、「自分の国でいくら物を作っても、外国の商品がいっぱい入ってくると、自分の国の人が全然買ってくれなくなるから困る」とか、「外国にたくさん売ったら、自分の国の人の食べ物や物がなくなってしまうので大変だ」というような物の見方も確かにできないこともないのですが、ところが経済的な実態としては、現在まで自由貿易を行ってきた国々というのは、基本的には、どこも経済的には、どんどん豊かになってきた、というような歴史的な事実があるのです。
それは、なぜなのかというと、これも先ほどと全く同じで、「自分の国では、絶対使い切れないほどのたくさんの量を作っても、世界中の国々で売りさばけば、ものすごくたくさん売れるので、結果として、大儲けすることができる」とか、「外国から安い物が入ってくると、確かに一部の生産業者の人達は大変だけれども、それ以外の大多数の人々は、良い品を安く買えるようになったので、結果として、たいへん豊かな生活ができるようになった」とか、「昔は、ものすごく苦労して国の基礎作りをしないと、なかなか国なんて豊かにならなかったけれども、最近はある程度、国の政策やインフラさえ整えておけば、外国の企業が、次から次へと工場やお店をたくさん作ってゆき、自分の国の経済を、勝手にどんどん発展させてくれるような不思議な時代になった」などというように、世界の経済全体の目で見た場合には、「自国の損は、他国の得」とか、「少々の失業者の増加は、多くの人々の豊かな生活の実現」とか、「外国企業の誘致は即、自国の経済の発展」などというように、これも経済全体で見た場合のゼロやマイナスといった概念を全否定して、そして、トータルで見た世界の経済全体が、どんどん活性化してゆくのであれば、ほぼオートマチックに世界中の人々も、どんどん豊かになってゆくはずである、というような、言ってみれば、経済的全体主義によるゼロレス、マイナスレスの経済政策になっていた、ということなのです。
小さな個人や企業の単位を離れて、その国や世界の経済全体の目で見れば、誰かが損しても、常にそれによって利益を上げる人がおり、また誰かが借金しても、常にそれによって資産を増やす人がいるものなので、本当は経済全体としては、お金が、ゼロの世界もマイナスの世界もなく、単に莫大なマネーが、今日も国中、世界中をあっちこっち移動しながら、どんどん増えていっているだけなのである
このように、確かにそれぞれの個人や企業の単位で見れば、誰かが損することもあれば、誰かが借金してしまうこともある、というようにゼロやマイナスだらけのお金の世界のように見えないこともないのですが、ところが、そうした小さな個人や企業という単位を離れて、その国の経済全体とか、世界の経済全体という目で、もう一度、考え直してみると、常に誰かの損失は、誰かの利益になっていたり、また常に誰かの借金は、誰かの資産になっていたりするなどというように、経済全体で見ると、お金のないゼロの世界もなければ、また、お金を借りているマイナスの世界というのも、本当はどこにもないのではないか、ということなのです。
つまり、そうした小さな個人や企業を離れて、より大きなマクロの目で国の経済や世界の経済を見た場合には、何のことはない、誰が損をしようが、誰が借金をしようが、その横では、それによって必ず、しっかり利益を得ている人がおり、また必ず、しっかり資産を増やしている人がいるものなので、実は、経済全体で見ると、お金の世界には、ゼロもなければ、マイナスもなく、本当は単に莫大な金額のマネーが、今日も国中、世界中をあっちこっち移動しながら、どんどん増えていっているだけであったということなのです。
Cecye(セスィエ)