Light Symbol

現在、世界を繁栄させている経済政策のベースは、基本的にゼロレス、マイナスレスの経済政策になっている Part 1

 さて、前回述べたような前提に基づいて、次には、さらにもっと現実的な観点から説明してゆきたいと思うのですが、何と言っても、こうした「数字」を扱うのは、私達の世界では、経済の世界と、科学の世界と、それからコンピューターの世界なのではないか、と思われるので、今度は、それぞれの分野について、説明してゆきたいと思います。

 

たとえ、それぞれの個人や企業が、損失や借金を抱えていたとしても、経済全体で見ると、常にそれらは、別の個人や企業の利益や資産(投資)になっているものなので、本当は経済全体で見ると、ゼロもなければ、マイナスもなく、単に莫大なマネーが、あっちこっち移動しながら、どんどん増えていっているだけなのである

 まず経済の分野について説明すると、実は、現実問題として、こうしたゼロやマイナスが存在するというような考え方に基づいて、経済を運営しようとすると、つまり、それは、「そもそも何もないものがある」とか、「何もないもの以下の損や借金がある」というような考え方になるので、大きな失敗をしやすいというような問題点があります。

 つまり、「今、会社は大変な赤字になっている」とか、「大きな借金がある」というような事態を、当然の前提にした経済運営が、そこに生じることが非常に問題なのではないか、ということを、これは説明しているのですが、それでは現実的に見て、本当にそうしたゼロやマイナスというものが存在しているのか、というと、「今、会社は大変な赤字になっている」ということは、立場を変えると、「別のある会社は、現在もその会社にいろいろな物やサービスを売って、利益を出している」とか、「現在もその会社の物やサービスは、好調に売れ続けているのだが、まだ売り上げの回収が、うまく出来ていないだけである」というような見方もできるし、また、「今、会社に大きな借金がある」ということは、立場を変えると、「別のある会社や個人は、その会社に投資して、たくさんの資産を持っている」とか、「その会社は、その負債を元手にして、今、たくさんの利益を生み出す、まさにその最中の過程にある」というような見方もできないこともないということなのです。

 つまり、これは、いったい何を言いたいのか、というと、確かに一つ一つの会社や個人を見れば、赤字になったり、負債が増えたりするようなことはあるかもしれないのですが、それは言ってみれば、大きな経済の中では、小さな出来事に過ぎず、より大きな経済全体の中で見れば、たとえ一つの会社や個人で赤字や負債が増えたとしても、全体で見ると、それは、どこかの会社や個人の利益になっていたり、投資になっていたりするかもしれないということなのです。

 これは、少し大雑把な説明であるので、これだけでは、なかなか、「はい、そうです」と言われる方は少ないのではないか、と私も思うのですが、ただ現在の世界の経済繁栄のルーツというものをたどってゆくと、主として第二次世界大戦後に世界的に実施されるようになった、一つは、「ケインズ政策」と、もう一つは、「自由貿易」という国家の経済政策にたどりつくことが出来るのではないか、と思われるのですが、ところが、よく考えてみると、どちらも今述べたような「0(ゼロ)」や「―(マイナス)」という概念を除いたところに、その経済思想の元々のルーツがあるようなところがあったということなのです。

 

現在、世界中の国々で当たり前のように行われているケインズ政策というのは、政府が、どんなに莫大な借金をして、大公共事業をやったとしても、経済全体で見た場合、誰かの損失や借金は、誰かの利益や資産になっているので、その国の経済全体が活性化してゆけば、結果として、その国の人々全員が、みんな豊かになれるはずである、というような「ゼロレス、マイナスレスの経済政策」であった

 まずは、「ケインズ政策」から述べますが、これは現代だと、あまりに当たり前になりすぎていて、かえって、その弊害の方が叫ばれて、久しいようなところがあるのですが、要するに国中の人々が、「不景気だ」、「この先、真っ暗だ」と言って、何も買おうとしない、何の投資もしようとしないような最悪の景気の状況であったとしても、政府が、たくさんの国債を発行して(つまり大借金をして)、それで国中の人々のお金を、かなり強引に投資に持ち込ませた上において、将来、その国の発展の役に立ちそうなところに片っ端から道路を作ったり、ダムを造ったりして、「公共投資」と呼ばれる大盤振る舞い(おおばんぶるまい)をしてゆくと、あら不思議とばかりに国中が金回りが良くなって、どんどん経済成長し出すというような経済政策のことです。

 ところが、これは、よく考えてみないと分かりづらいのですが、どう考えてみても、そうした経済政策の中心には、ゼロやマイナスという観念自体が全くなくて、例えば、国が大借金をしたとしても、それは立場を変えると、たくさんの国民が資産家になったのと同じこととか、国が、いっけん無駄そうに見える大盤振る舞いをしたとしても、それは立場を変えると、多くの国民が勤めている会社の売り上げが、たくさん上がったのと同じことなどというように、言ってみれば、経済的に見たゼロやマイナスの概念自体を全否定して、その反対に常に大きな経済の中で見ると、「誰かの借金は、誰かの資産」、「誰かの買い物は、誰かの売り上げ」などという具合にトータルで見た経済全体が、どんどん活性化してゆきさえすれば、ほぼオートマチックに国民全体も豊かになってゆく、というような、言ってみれば、経済的な全体主義による「ゼロレス(0なんてないということ)、マイナスレス(マイナスなんてないということ)の経済政策」であったということなのです。

※これは基本原則になるのですが、私は、それぞれの国や地域の経済実態に合わせた、できるだけ社会的混乱が少ない形での経済発展の方が望ましいのではないか、というように考えております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年8月2日 9:08 PM, おすすめ記事 / コラム / 成功論、繁栄論 / 知恵、正しさ / 経済



«

»

おすすめ記事

過去の記事