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霊的宇宙的に外部の世界から見た、現在、地球上で進行しているアセンションの客観的な様子と、その後の将来

 今回も、前回に引き続き、前に書いた文章からの抜粋になります(途中からで、分かりづらい方は、もう少し前の所から、お読みになることを勧めます)。

※今回の話は、前に述べたアセンションの状況についての説明と、若干、異なるのですが、霊的に見ると、こうした風にも見える、ということです。

 

霊的宇宙的に外部の世界から見た、現在、地球上で進行しているアセンションの客観的な様子と、その後の将来

 ここまで述べてきたことからもよく分かるように、アセンション後の世界においては、現在、私達地球人が認識している地球の姿や、あるいは、宇宙の姿というのは、基本的に全く違ったものへと変容してゆく、ということなのですが、それでは、こうした現在進行中のアセンションというのは、次元的、あるいは、時空間的に見た場合、一体、どのような状況の変化となっているのかというと、これは、みなさんが、こうした文章を読んでいる間にも、毎日のように時々刻々と、何度も何度も頻繁に起き続けている地球の変容に関する客観的な説明になるのですが、要は、現在、こうした文章を読んでいる間にも、地球の波動上昇、並びに、次元上昇というのは、常に常に起こり続けているので、その結果、霊的、あるいは、宇宙的に外部の世界から、この地球を見ると、一体、どのような姿に見えるのか、というと、それは、ちょうど薄いプレパラート(科学の実験に使う小さな長四角のガラスの板のこと)のように見える地球の時空間の帯が、何枚も何十枚も、お互いに少しずつ間を開けて、少しずつ上下しながら重なっているような客観風景に見えるのですが、こうした重複した時空間の帯の間を、現在、私達が存在している時空間の帯は、少しずつ上に行ったり、下に行ったりするようなアンバランスな動きを繰り返しながら、だんだんと上の時空間の領域へと移動し続けているような客観状況である、ということが言えます。

 これを、もう少し、現在の地球人の身近な感覚として分かりやすいような説明に置き換えてみると、要は、現在の地球人の認識としては、自分の周りに完全に固定的な、たった一つの現実がある、というような認識しか普通は持てないのですが、こうした霊的、あるいは、宇宙的な認識から見てみると、実は、時空間の帯の中に存在している、それぞれの人間や、それぞれの生物というのは、実際には、一番上の時空間の帯に乗っている人や生き物もいれば、そうではなく、上から三番目や五番目の時空間の帯に乗っている人や生き物もいるし、また場合によっては、かなり低い一番下の時空間の帯に乗っているような人や生き物もいる、などというように、本当は、それぞれの人間や、それぞれの生き物というのは、全く別の時空間の帯に乗っているにも関わらず、まだアセンションが完了していない現在の段階においては、こうした、それぞれの時空間の帯に乗っている、それぞれの人間や生物というのは、基本的に全く同じ一つの世界にいるような認識を持っているのですが、それが、やがて、数年後に巻き起こるアセンションというものを明確な境にして、ある一定範囲より上の時空間の帯に存在している人間や生き物は、同じ世界に存在している、と認識されるが、そうではなく、ある一定の範囲より下の時空間の帯に存在している人間や生き物というのは、基本的に全く別の世界にいる、というような世界の認識に変わるようになってゆく、ということなのです。

 つまり、アセンション後の世界においては、アセンションする高次元の光の宇宙領域に存在している人々や生き物達と、そうではなく、アセンションしない低次元の暗闇の宇宙領域に存在している人々や生き物達というのは、基本的に全く別の世界で活動するようになる、ということを、これは、意味しているのですが、実は、こうしたアセンションが完了して、しばらく経つと、そうして高次元の光の宇宙領域に存在するようになった数多くの人々や生き物達というのは、そうした次元上昇によって、新たに認識できるようになった、現在の地球人としては、これまで全く見たことも聞いたこともなかったような新たな世界の存在や、それから、そうした新たな世界の人間のあり方や、さまざまな生き物達のあり方というものを知るようになってゆく、ということなのです。

 これは、言ってみれば、先ほどのプレパラートの比喩を使った時空間の説明として述べ直してみると、今後のアセンション後の世界においては、基本的に高次元の光の宇宙領域に所属するようになった、比較的上の方の何十枚ものプレパラートに乗っていた人々や生き物達というのは、やがて、ひとまとめにされて、五次元以上の世界の、より大きな、きれいに光り輝く巨大なガラスの板の世界の中に統合されてゆくことになるので、その結果、これまでのように分断された非常に小さなプレパラートの世界の中ばかりでなく、そうした非常に広大なガラスの板の上の世界の、これまで全く見たことも聞いたこともなかったような非常にきれいな光り輝く新世界の景色を見たり、体験したりすることができるようになる、ということなのです。

 それでは、そうしたアセンションをせずに、低次元の暗闇の宇宙領域に取り残されてしまった、比較的下の方の何十枚ものプレパラートに乗っていた人々や生き物達というのは、その後、一体、どうなってしまうのかというと、これは、現在の段階では、ほとんど単なる予測に過ぎないのですが、おそらく、私の推測では、こうしたアセンションしなかった側の時空間の帯に乗っていた人々や生き物達というのは、多分、そうしたアセンションという話すら、また昔の世紀末の予言のような単なるインチキのでっち上げや馬鹿騒ぎに過ぎなかったのだろう、などと考えて、現在とほとんど同じような毎日の生活を、それこそ、いつまでもいつまでも、えんえんと繰り返し続けるような状況になってゆく、というような未来のシナリオが、現在のところ、非常に有力なのではないか、というように私は考えております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年7月17日 9:07 PM, アセンション・シリーズ 4



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