2、現実の世の中では、「○○よ。あれ!」などと何度も口に出して唱える暇があったら、顧客のニーズを聞いたり、古今東西のいろいろな事物をリサーチしたり、たくさんのデッサンや企画を考え出したりして、何度も試行錯誤を繰り返したりしながら、試作や創造を積み重ねないといけないことがほとんどなので、実際問題として、言霊だけで突然何かが出現するなんてことは、現実には、ほぼ絶対あり得なかったのではないか
第二には、これは実際に何らかの研究や技術開発や芸術的創造に携わっている人々に聞けば、ほぼみんな口を揃えて、「その通りだ」と言うような内容になってくるはずなのですが、実際問題として、この人間社会において、何らかの新しい物を研究開発したり、創造してゆく際には、単に「新しい製品よ、新しい芸術作品よ。私の目の前に出現せよ!」とか、「○○よ。ここにあれ!」などと何度、口に出しても無駄で、そんなことをする暇があったら、そうした製品を使ういろいろな人々に具体的なニーズや改善点を詳しく聞いて回るとか、とにもかくにも新たな着想のヒントを得るために現在流行っている物や、古今東西の変わった物を一つ一つ物色して回るとか、あるいは自分の創造性の限界に挑戦するように、何度も何度もたくさんのデッサンや企画書の作成を繰り返すなどというように、実際のそうした研究開発や創造の場においては、無駄口を話している暇があったら、とにかく、いろいろ調べたり、アイデアを出したり、改善を積み重ねなくてはならないようなところがあるということなのです。
そして、そのような形で、たとえ何らかの優れたアイデアや企画が思い浮かんだとしても、実際には、その後のいろいろな細かな作業や試行錯誤や、いろいろな検討や売り込みのような作業のプロセスの方が遥かに大変なことが多いので、その後、実際に製品化されたり、芸術作品として完成するようなものというのはほとんどなくて、大半はアイデアや企画自体はとても良かったんだけど、実際には、なかなか実用品や芸術作品と呼べるまでには行かなかったとか、あるいは何とか実用品や芸術品としては完成したんだけど、実際には全然売れなかったとか、全然、他人から評価されなかったというようなことが多かったりするなどというように、現実の世界の研究開発や創造的な行為というのは、はっきり言うと、そうした言霊信仰とは全く正反対の状況になっていることの方が遥かに多かったということなのです。
どんなにこの宇宙の創造主が偉大な存在であったとしても、実際問題として、単に「○○よ。あれ!」と言葉を発するだけで、これだけ複雑で精妙精緻(せいち)なシステムを持つ太陽や地球や空気や水などの存在が、突然パッと現れて出てくるわけないではないか
さて、こうした私達の社会の現実から考えてみるに、実際問題としては、たとえこの宇宙の創造主のような存在がいたとしても、「光よ。あれ!」と言ったら、それまで何もなかった空間に突然、太陽が出現するとか、「空気や水よ、あれ」と言ったら、それまで何もなかった空間に突然、大気や海が出現するなんてことは、現実には絶対あり得ないというのが、今日、人類が到達した科学的真理から導かれる絶対的な結論なのではないかということなのです。
それというのは、太陽や地球にしても、あるいは、そうした空気や水にしても、科学の未発達な昔と違って現代の時代においては、今日もたくさんの学者や研究者達が、いろいろな研究をして調べまくっているわけなのですが、そうして調べてみると、はっきり言って、これだけ複雑で精妙精緻(せいち)に作り上げられている太陽や地球にしても、また空気や水の性質や働きにしても、そんな簡単に一言、「あれ!」と言うだけでは、絶対に出来るような代物(しろもの)ではないというのが、今日、人類の到達した科学の結論なのではないかということなのです。
それでは、そうした太陽や地球や、あるいは空気や水のようなものが、この宇宙の歴史における自然の発達の結果、偶然生まれたものなのかというと、これも私は、まともな人間であるならば、天体望遠鏡で宇宙を見回してみても、はたまた顕微鏡でミクロの生物や鉱物の世界を見回してみても、こんなに複雑で精妙精緻な物が、自然の発達の結果、勝手に出来上がってくるわけないではないか、というように簡単に結論づけることができると思われるのです。
私の考えとしては、こうした自然の状況から察するに、この宇宙の創造主のような存在がいて、この宇宙や地球というものをかなり細かく計画的に創造していったのは、ほぼ間違いないということと、それから、そうした創造主のような存在は、決して一言一言、言葉を出しながら、この宇宙を作ったのではなく、はっきり言うと、現在の地球の研究者や芸術家とほとんど変わらないような地道な作業や、たくさんの試行錯誤を繰り返した末に、現在のような宇宙を創造してきたというのは、ほぼ間違いないのではないか、というように率直に考えております。
それゆえ、こうした宇宙の現実を見る限り、聖書の一部や古来の日本で説かれた言霊思想のようなものというのは、はっきり言うと無知蒙昧の原始時代の人々であれば、そのような魔法主義のような価値観や世界観も信じられたかもしれないけれども、近現代以降の日本や世界の人々の科学や宗教の潮流としては、全く信ずるに足らない、ほぼ完全な迷信、盲信のたぐいと言ってもよいようなインチキの信仰形態だったと呼べるのではないか、というように私は率直に考えております。
Cecye(セスィエ)
2011年7月2日 5:27 PM, キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳 / 神道