今回も教育のことについて、書きたいと思います。
「和歌」や「俳句」といった一昔前の詩歌は、現代の感覚で言うと、国民文化というよりは、せいぜい一部の有閑階級の間で流行った、一種の歌謡曲のようなものだったのではないのか
日本の学校だと、古代や中世のものだと「和歌」、それから江戸時代だと「俳句」、それから近代以降のものになると「詩」などと取り上げては、それらが、ものすごく芸術的で文化的なものの代表であるかのように説明することが多いのですが、今回は、こうした詩歌について、幾つかの観点から述べてみたいと思います。
1、国民の90数パーセントの人々が、毎日毎日、朝から晩まで生活のための肉体労働に明け暮れていた一昔前の時代における「和歌」や「俳句」といった詩歌の社会的位置づけというのは、現代の感覚で言うと国民文化というよりは、せいぜい一部の有閑階級の間で流行った、一種の「歌謡曲」のような位置づけと大して変わらなかった
まず第一には、日本の学校だと、「平安時代の日本文化の「和歌」は、本当に素晴らしい詩歌の形式である」とか、「江戸時代の俳句は、世界に通用する素晴らしい日本文化の一つである」などというように、結構ものすごい権威を付けた説明を受けることが多いのですが、私は、こうした一昔前の「和歌」や「俳句」というのは、現代の感覚で言うと、せいぜい一部のコアなファンの人達の間で愛好された一種の「歌謡曲」のようなものだったのではないか、というように感じております。
これはスィッチ一つで、テレビやネットの情報を山ほど好きなように見ることのできる現代人には、かなり理解の難しい内容になるのではないか、と思われるのですが、まずは、少し前の近代以前の時代にさかのぼると、そうした世の中は、一体、どんな世の中だったのかというと、これは基本的にどこの国も世界中、ほとんど同じだったのではないか、と思われるのですが、まずは世の中の90数パーセントぐらいの人々は、基本的に農業や漁業や商業や手工業のようなことに従事して、朝から晩まで寝る間も惜しんで、働き続けていたことが多かったので、それゆえ、こうした人々にとって、一日の中で、ほんのちょっとだけ息抜きできる、心安らぐ休みの時間には、一体、何をしていたのかというと、これはもう単純に、とにかく体を休ませるとか、気分転換や贅沢のために、ちょっとした美味しい物を食べたり、飲んだりするとか、家族や友人とおしゃべりするとか、何か歌や踊りのようなことをするとか、あるいは、恋人や夫婦で楽しい時間を過ごすことぐらいしかなかったのではないか、と思われるのです。
そうすると現実問題として、こうした、ほぼすべてと言ってもよいほどの大多数の人々が、普段から詩歌に親しむとか、詩歌を作って楽しむなんて文化があるはずはないので、はっきり言うと、こうした詩歌を作ったり、あるいは、それを詠(うた)って楽しんでいたのは、そうした時代における、ごくごく一部の教養階級の人々、というよりも、もっとはっきり言うと、ごくごく一部の当時の有閑(ゆうかん)階級に当たる貴族や武士や僧侶のような人々だけだった、というのが、こうした詩歌に関する、その時代における最も正しい認識なのではないか、ということなのです。
つまり、もっとはっきり言うと、よく「和歌や俳句は、日本人全体に愛された国民的な文化の嗜(たしな)みだった」とか、「そうした詩歌には、日本人の心が反映されている」なんて説明をよく聞くのですが、実際には、そうした詩歌を嗜む生活の余裕があった人々というのは、その時代における、ごくごく、ほんの一部の少数の人々だけで、それ以外の大多数の人々は、そんな詩歌のことなんて全く分からずに(というよりも、そもそも字が読めない)、毎日毎日の生活の糧を稼ぐための大変な労働に、朝から晩まで従事しっぱなしのような状況になっていた、ということなのです。
※「俳句」は、和歌とは、少し立場が異なるのですが、日本の国語の教科書だと、和歌とほとんど同じような権威を与えて、教えてくるようなところがあるので、ここでは、俳句も同じような扱いで述べています。
Cecye(セスィエ)